ラーメン屋、中国語経験一切ナシ。海外渡航歴も3日だけで台湾でラーメン屋を開いた出口裕介さんにインタビューしてきました 前編


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台湾でラーメン屋を開いている29歳の日本人が、ラーメン屋、中国語経験一切ナシ。海外渡航歴も3日だけで台湾でラーメン屋起業したと聞いたら、どんな人か知りたくなりませんか?

こんにちは。2015年6月に日本から台湾へ引っ越してきたまえちゃん@Maechan0502です。

さてぼくらは新しい一歩を踏み出す時に、非常に言い訳します。失敗したらどうしよう?安定したサラリーマン生活を捨てるなんて……。

たしかにぼくも台湾へ来る前は似たような言い訳をしたことがあるので、非常に言い訳したくなるのはわかります。しかし実はこの台湾で、ラーメン屋で修業もせず、台湾の共通語である中国語も話せず、おまけに台湾に来る前はたった3日しか海外へ行ったことがないのに、台湾でラーメン屋を1年も経営している日本人がいたのです!

それが現在台湾の台北で武藤ラーメンを経営している、店長兼オーナーの出口裕介さん@DEMI1202、29歳です。出口さんはブロガーでもあり、「ラーメン開発記 in 台湾」というブログを運営していて、ぼくは以前からの知り合いで仲のいい友人なのですが、今回はその出口さんに「どうして台湾でラーメン屋を起業しようと思ったのか?」という経歴をインタビューしてきました。

ラーメン開発記 in 台湾

しかし出口さんの口からは、ぼくの予想以上に無謀な経歴が出てきて、呆然としてしまいました。それが最初の経歴だったのです。

もう「よく挑戦したな……」とビックリしたのですが、何でもほしいモノが買えてしまう豊かな時代に生まれた29歳のぼくは、同世代である出口さんが未経験で台湾起業に挑戦した気持ちが心の底から理解できました。

今、モデルとなる生き方がない時代なのですが、「出口さんの台湾ラーメン起業した生き方は、そんな同世代の人たちに希望を与えるんじゃないか?」そう感じます。

そんな出口さんのデタラメで、なおかつインターネットを駆使したメチャメチャ面白い起業話を、3回に分けてインタビューしてきました。

ぜひ多くの人に読んでいただきたいです。

ではどうぞ!

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日本の大学を卒業してIT会社に入り、紆余曲折あり過ぎて、台湾でラーメン起業に至るまで

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ーーではお名前と年齢、出身地を教えてください。

出口裕介、29歳。生まれと出身地は日本の岐阜県です。台湾では岐阜を説明するのが大変なので、便宜上名古屋出身だと言っています。

ーー出口さんは今、台湾で何をされていますか?

台湾の首都である台北市で、1年前の2014年9月15日にラーメン屋「武藤」を立ち上げました。

ーーその前に日本でやられていた経歴は?

2008年3月に大学を卒業して、普通にIT企業に就職しました。そこで4年8ヶ月働いて、2012年11月に退職。その後2012年12月からフリーランスというカタチで独立しました。その間iPhoneアプリの制作の勉強したり、ウェブサイトの制作を請け負いながら、ちょうど1年後の2013年の年末に台湾でラーメン屋を立ち上げる話を誘われて(笑)

そして2014年4月に台湾移住。イチから開店準備をして、2014年の9月15日にラーメン屋を開いていて、現在に至る感じですね。

ーーなるほど。日本のIT会社では4年間どんなお仕事をされていたんですか?

平たく言うと営業です。お客様のところに行って、会計や給料システムなどの現状を聞いて、そのコンサルタントをしていました。そこで「あなたの会社に合うシステムはこんなサービスを導入すれば業務解決できますよ。」という提案をして、自社のソフトウェアの販売をする仕事をしてましたね。

ーーこれは名古屋で勤められていたんですか?

うん、ずっと名古屋です。新人の時に東京に行って、名古屋配属された後は丸々4年間営業をしていました。

社会人時代までパスポートを持っていなかったのに、台湾起業の話に乗る

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ーーそんな出口さんがなぜ、台湾でラーメン屋を開こうと思ったんですか?

うーん。ぼく、面白そうと思ったことはすぐ飛びつくタイプなので、台湾でラーメン屋を開くって聞いたらやってみたくなったんです。

ぼく、サラリーマンやっているときも副業でネットの転売をやってみたり、株投資をやったり、セミナー講師で小遣い稼いだりとか、あとはブログ書いたり……。そういう好奇心旺盛が極まって、自分のおじさんから「台湾で出資するからラーメン屋をやらないか?」って言われて、飛びつきました(笑)

でもその時は特に「台湾大好き!」って気持ちもなかったんですけど……。

ーー台湾でラーメン屋の話を持ちかけられた時点で、何回くらい台湾に行ったことがあったんですか?

え、1回。1回だけ。

ーーハハハ!え?!1回だけですか?

うん、就職している時だから社会人4年目の2012年に1回だけ友達と行ったことがあります。

ーーちなみにその時の台湾の印象は?

……あんま。いや!ぼくその時の台湾旅行が、自分にとっての初海外旅行だったんですよ。たしかに海外だったから新鮮で「小籠包美味しいなぁ」とか、そういう感じかな。

ーーなるほど。じゃあ出口さんの海外渡航歴は、台湾でラーメン屋開く前は、ほかの国を含めて何回くらいあったんですか?

(人差し指を1本あげて) 台湾1回だけ。

ーーそれ何泊でしたっけ?

2泊!2泊3日の弾丸ツアー!

ーーハハハハ!!じゃあ27年間の人生で2泊3日の台湾旅行の海外経験だけで、台湾でラーメン屋を開く誘いに乗ったんですね。

はい。ちなみに未だに行った国は、今年の8月に行ったオーストラリアと今住んでいる台湾の2つしかないですね。海外旅行とは全然無縁の生活です。

2011年の東日本大震災とその後の台湾でラーメンブームが起こった意外な因果関係

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ーー台湾でラーメン屋を開こうと思ったキッカケを詳しく教えてもらえますか?

台湾でラーメン屋を開こうと思ったキッカケは、ぼくのおじさんから「台湾でラーメン屋を開きたいから出資したい」という話があったからです。

ぼくのおじさんは日本で自動車部品のセールスの仕事をサラリーマンでやっているんですけど、副業で台湾に日本酒や日本の内装を輸出入してたんですよ。そのつながりで20年以上の付き合いになる台湾の大親友が何人もいて、おじさん自身もお金が貯まっていたから、いっちょ台湾に出資しようと。

そこで2012年当時は台湾で日本のラーメンブームが来てたし、おじさんから「台湾でラーメン屋をやりたいんだけど、ラーメン作りは体力勝負だから、ちょっと年齢的にオレには厳しい。でも裕介は若いし体力もあるから、一緒にやらないか?」と言われたのがキッカケですね。

まあ台湾はラーメンブームだから儲かるんじゃないか?っていう安易な理由はありました。

ーー2012年の当時、台湾で日本のラーメンがブームだった理由はあるんですか?

2011年の東日本大震災がキッカケだったんですよ。震災があってから、日本の中小企業がリスクヘッジのため、海外で出店を目指し始めたんですよね。その流れの中で、台湾が親日だから、多くの中小企業の海外出店第1号国として選ばれたんです。

台湾では2012年に一風堂が出店して、その後続々と日系のラーメン屋が台湾に進出し、台湾にラーメンブームが来たって聞いてますね。

ーーその台湾でのラーメンブームの流れで、出口さんのおじさんも出資したんですね。

そうそう!その流れにぼくたちも乗って「ラーメン長者になろうぜ!」って!

……まあ現実はめっちゃ厳しかったけど(笑)

ーーそうだったんですか(笑) あ、そういえば、江戸の郷土料理だったにぎり寿司が日本全国に江戸前寿司が広まったのは、大正時代の関東大震災がキッカケだと聞いたことがあります。寿司職人が全国に散らばったのが理由の1つだと。歴史は繰り返すんですね。

27歳若者。日本でラーメン屋経験ナシ、海外旅行経験もほぼナシ。おまけに中国語も話せないのに、台湾でラーメン起業を目指す

Facebook muto「武藤」のフェイスブックページ。38人がレビューして、5つ星の中で4.8と驚くべき好評価

ーー出口さんが経営する武藤ラーメンは、台湾でのフェイスブックページの評価見ても5つ星のなか、4.8とものすごく評判がいいです。またぼく自身も自腹でお金を出して2回ほど食べに行ったんですが、日本で食べるラーメンと遜色がないくらい美味しいと感じます。

ーでも実は出口さんって、日本のラーメン屋で社員経験はおろか、アルバイト経験すらないって本当なんですか?

実はないですね。……あのー、実はまわりにあんまり言ってないですけど、本当にないです(笑) 

ーー本当にないんですか!?大学時代にどっかラーメン屋でアルバイトした経験もない?

はい、大学時代で焼肉屋さんでアルバイトした経験はあるんですけど。その時にキッチンで働いて、包丁の使い方や衛生概念などの飲食知識を学びました。でも……ラーメンは全くやってないですね。

ーーなるほど。料理は好きだったんですか?

はい、料理は元々好きで、名古屋で一人暮らししていたときから、パスタとかいろいろ料理してました。……さすがにラーメンは作らなかったけど。

ーーじゃあ、料理が趣味だったんですね!

……いや、趣味レベルではない!

ーーえ?趣味レベルでもない!?一人暮らししていた時に、自炊するレベルで料理が好きだったって感じですか?

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ですね。趣味はどっちかっていうと、ITのほう。ガジェット (目新しい電子機器)系だったりとか、ブログ書いたりとか、そっちのほうが趣味と言っちゃ趣味。

ーーでは出口さんは台湾にいく前は、台湾人が話す中国語はしゃべれたんでしょうか?

いや、まったく(断言)。

ーーハハハハ!まったくしゃべれなかったんですか?(笑)

うん、でもさすがにマズいなと思って、日本にいる時に本を買って勉強しました。でもこれが台湾の面白いとこで、日本で手に入る中国語の本は、全部中国本土の中国語だったんですよ。台湾では台湾華語っていう細かい部分が違う中国語が話されてて、それをオレは知らなかったんです。

で、オレは中国本土で話される中国語ばっかり日本で勉強してたから、意味なかったんですよ。台湾に来てからも台湾人に「台湾で中国本土で話す中国語を話したら、腹が立つ」って言われたし(笑) たとえば「おはよう」1つとっても、中国本土では「早上好 (ザオシャンハオ)」って言うんですけど、台湾では違うんですよ。

ーーあ、台湾では「早安 (ザオアン)」っていいますよね。

そうそう、台湾の人は政治的な問題もあって中国人嫌いだから、台湾で中国本土の中国語を話してたら嫌われちゃうんです(笑) それに日本にいる時に早めに気付いて、「じゃあ日本じゃ台湾の中国語のテキストも手に入らないし、勉強しないでおこう」って。

何も経験がなかったけど、「一度死ぬ気になって頑張ってみたかった」 だから台湾でラーメン屋を開こうと決心した

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ーーすごいですね……。では出口さんは中国語も話せないのに、IT業界から未経験で畑違いの飲食業界、しかも全然海外経験もないのに、そこへ飛び込んでいくことに不安はなかったんですか?

不安はあったんですけど、日本でフリーランスし続けるほうが不安でした。他の人と比較すると、自分が突出したプログラミング技術があるわけでもないし、セールス能力があるワケでもなく、結局日本における自分の立場の強みが見いだせなかったんですよ。

ーーあー、なるほど。フリーランスの仕事はiPhoneアプリの制作者ですよね?

はい、フリーランスになってからiPhoneアプリ制作の勉強をし始めたんですけど、勉強し始めて初めて自分の無謀さに気がつきました。やっぱiPhoneアプリ制作ってすごい人がゴマンといる世界なんですよ。で、ぼくがその業界で唯一花を咲かせられる可能性があったのは、ディレクターかな。

iPhoneアプリ制作の技術のことを勉強しつつ、会社員時代の営業の経験を活かして、アプリ制作のディレクターなら道があるかなぁと考えられたんですけど。でも結局またサラリーマンに戻って、ディレクターとか営業とか、そういう将来しか思い描けなかったんです。

ただその一方、守りに入っている自分がイヤだったなというのもあったんで、「ちょっと1回死ぬ気になって頑張ってみたいな」って思っていました。

その時にまわりが大反対して逆に燃えたってのもあり、台湾でラーメン屋を起業する道を選びました。それですね。

台湾ラーメン起業したのは、日本で安定したサラリーマンするのがイヤだったから

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ーー日本でサラリーマンを辞めて、フリーランスなられた時は、日本で働くのがイヤとかありました?

日本で働くのがイヤとかそういうのは全然なかったですよ。「サラリーマンがイヤだなぁ」とは思いましたけど。例えば「会社がこれを売りなさい」っていったら、売らないといけないところがおかしいと思ってました。

ぼくらは仕事でコンサルをやってて、お客さんにとって一番いいものがあるのに、結局自分たちの商品を売りたいから、無理矢理それをねじ曲げて「これがいいんですよ」って変に誘導しないといけないとか。本当は別の会社のほうが安くていいのに、おかしいでしょ?

それがサラリーマンである以上、やっぱ自分の意見は通らないし、ぼくがやめても別に困らないのがなんかイヤでした。

ーーなるほど、自分が辞めても困らない。

うん!実際、自分が辞めても会社の業績に全く影響してなかったし(笑) 上司は「辞められると困る」と嬉しい事言ってくれましたけど。

ーーそうか……。じゃあ、サラリーマンからiPhoneアプリ制作者になるためにフリーランスで独立してみたけど、先が見えなかった。だけどiPhoneアプリ制作のディレクターとして、サラリーマンに戻る道も選びたくなかった。そんな時に台湾でのラーメン起業の話が舞い込んできたんですね。

ー出口さんが台湾でラーメン起業したかったのは、自分の存在価値を確認したいっていう理由があったんでしょうか?

うん、存在価値もあるし、ぼく、元々こうやって好奇心旺盛で。たとえば株にせよ、転売にせよ、自分でやったことの結果が自分に返ってくるのが一番やりがいを感じてたんです。

サラリーマンが悪いとは言わないですけど、ぼくは会社にいた時、全国で営業成績がドベ (最下位)取ったことがあるんです。でもその時も給料は変わらなかったし、逆に悔しくてそこから燃えて、営業成績を全国で2位や3位取ったこともあったけど、その時もちょっとしか給料変わらない。

なんかそこにあまり意味を見いだせなかったんです。それだったらサボったらサボった分だけ苦しくなって、頑張ったら頑張った分だけ見返りある世界のほうがぼくは魅力だなと思っていたのが、根底にあります。

だから、台湾でラーメン作ったら、究極に自分のやったことが自分に跳ね返ってくる。たとえばまずいラーメン作ったら赤字になるし、逆ならうまくいくし、そういうのがやりたかったんです。

まあギャンブル思考かもしれないんですけど(笑)

ーーそうだったんですね(笑)

次回予告 「ラーメン作りの師匠はグーグルとクックパッド!?27歳の日本人若者、台湾でラーメン屋を開く」

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出口さんは27歳の時点で、人生で海外渡航歴も台湾に3日間だけ。料理は好きだけど趣味でもないし、ラーメン屋でのアルバイト経験もない。おまけに台湾で話されてる中国語もしゃべれません。

だけど日本での安定したサラリーマン生活を選ばず、やったことがそのまま返ってくるやりがいを求め、「1回死ぬ気になって頑張ってみたい」と、27歳の時に台湾ラーメン起業に挑戦します。

次回「ラーメン作りの師匠はグーグルとクックパッド!?ド素人なのに28歳で台湾でラーメン屋を開いた出口裕介さんにインタビューしてきました 中編

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