1,000万円を投資したラーメン「武藤」、突如トンカツ屋になり、倒産の危機へ。 台湾でラーメン屋を開いる出口裕介さんにインタビューしてきました 後編


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さてド素人ながらなんとか台湾でオープンにこぎ着けたラーメン「武藤」。しかし出口裕介さんをあざ笑うかのように様々な設備トラブルが起こります。

ラーメン作りの師匠はグーグルとクックパッド!?ド素人なのに28歳で台湾でラーメン屋を開いた出口裕介さんにインタビューしてきました 中編 – あしたはもっと遠くへいこう

加えてオープンから9ヶ月後。台湾の6月から9月までの夏の気候問題まで襲いかかり、出口さんは突如!?ラーメン屋からトンカツ屋をやる決心をしました。

しかしそこで倒産寸前の危機に追い込まれてしまいます……。

果たして29歳の若者はどうしたのでしょうか?そして1,000万円の台湾ラーメン屋開設の投資金は失敗に終わるのか?

ではどうぞ。

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武藤ラーメン。売上は順調に上がったけど、利益は出なかった裏事情

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ーーオープンしてから3ヶ月間、そこでお店の経営はどうだったんですか?2014年の9月15日にオープンして、順調に売上は伸びていったんでしょうか?

売上は毎月順調に伸びていきました。日本円に換算すると今1台湾ドル=4円いかないくらいだから、月商250万円くらいですかね。

でも順調そうに見えて、利益は全然出ていませんでした。人件費が高騰していたり、ラーメンを作る原価は全然下がらなかったし、さらにお店のいろんな設備が壊れて大変になったんです。

本当に台湾のうちのお店の設備の故障が多くて、「やれクーラーが壊れて修理費に何万元~」「ガスが止まって何千元~」など、それでお金が貯まらなくて資金繰りが苦しかったです。

ぼく、ブログに店の設備トラブルの記事書いているんですけど、この更新が終わらないのが悩みですね。

ーーさらに出資者のオジさんも苦しくなって台湾からお金を引き上げたと聞きましたが、いつのことだったんでしょうか?

あ、それは2014年の年末だね。そこからはラーメンで出た収益でなんとかやりくりしててました。

ーーなるほど、順調そうに見えて人件費、ラーメンの原価、お店の設備トラブルなどで利益は出てなかったんですね。

そう、自分もやっぱ素人だったんで、よくある飲食店の罠にハマり、何でも完璧を目指そうとしてしまいました。

いい材料を揃えて、お店も綺麗に保って、素晴らしい接客をする。だからいい材料を使って原価も高騰したし、人件費も働いてもらうために全然節約しなかったし、利益が出なかったんです。

でも売上はみんなから良さそうに見えるんですよ。「お客さんいっぱい来てて儲かってるねー!」って言われるし、でもこっちからしてみれば「いや、全然お金ないし!」って感じで(笑)

武藤ラーメン、突如トンカツ屋になる

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ーーそうですか。飲食経験のなさからきた良い部分もあったけど、うまくいかない部分もあったんですね。それで出口さんのフェイスブックを見たら、一度潰れそうな危機があったと書かれてましたが、それはいつだったんですか?

あのねー、潰れそうな危機はラーメン屋からトンカツ屋さんをやった時です。時期的にいうと、2015年6月から8月かな。

ーーまさかの展開だと思うんですが、ラーメン屋からトンカツ屋に切り替わったのは何が原因だったんですか?

そもそもの原因は最初の節約しちゃった内装費のせいですね。元々お店をオープンする時の内装工事を「日系の企業に内装工事頼むより、値段が半額だから」って理由で台湾人のオフィスデザイナーに頼んだから、その後に故障が頻発したんです。

ごまかしながらやっていたんですけど、キッチンの空調がうまくいかなくて、一酸化炭素中毒の問題が発生してしまってね。

ーーえーーー!?

それで「じゃあいっそ夏は違う料理を作る店にして、1年に2度出す料理が変わるコンセプトレストランにしよう」って構想を2015年の2月、3月くらいから練り始めたんです。工事をしようと思っても100万円くらいかかるって業者に言われたので、お店の利益が全然出てなくて、「今ある設備でやらなアカン」って話になって。

じゃあ次は日本食で他のモノでやってみようかと思って、トンカツを選びました。

ーーなぜその時にトンカツ屋をやろうと思ったんですか?

それはその時に、これまた台湾で日本から来た勝将ってトンカツ屋がブームになってたからですね(笑) 台湾の豚肉は美味しいんで、ワーキングホリデーで来ていた料理人修業を積んでた日本人の後輩に、時間作ってもらってトンカツを開発してもらったんです。

で、予想通り、4月、5月と台湾が暑くなるにつれて客足も遠のき、逆にキッチンはどんどんドンドン温度が上がり、そして従業員のみんなの体調は悪くなりました(笑)

そしてやっぱ無理だなって感じて、2015年6月にトンカツ屋に切り替えたんです。

トンカツショック!武藤ラーメンを襲った悪夢の大赤字と倒産の危機

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ーーなるほど、設備トラブルの末にトンカツ屋になったんですね。でもお客さんから見たらいきなりトンカツ屋になったというカタチですよね。実際の売上はどうだったんでしょうか?

それはもう酷いことになって……、売上が半減しました。お客さんからも「ラーメンないなら帰るわ!帰るわ!帰るわ!」って言われまくり、トンカツ屋を始めたらラーメン屋をやっていた5月の売上の半分以下になりました。

ーーそれがいわゆる「トンカツショック」ってヤツですか?

そうそうそう!もうそこで超赤字になって、7月も赤字。で、8月も赤字かな?

しかもこっちとしてはラーメン屋並みにお客が来ると思っていたんで、シフトで人もたくさん配置してたんですよ。その分の人件費とか丸々赤字食らって、ラーメン屋で出ていた利益がほとんど吹っ飛んだんです。

そのトンカツ屋になる時に、フライヤーとかいろいろ設備投資も追加でしてたから、トンカツ屋で赤字になった時にお金の底が尽きそうになりました。

そこですでに日本に帰っていた出資者のオジさんに再融資をお願いしたんですけど、そこでオジさんが追加融資を出してくれなかったら、……この店は潰れています。そんなことがありました。

よく……、よく生き残ったな……、自分でも思うけど。本当に自分でも運が良いと思います……。

まあオジさんもやっぱり出資したお店を潰したくなかったみたいなんで、追加融資をちょっとしてもらって、「なんとかラーメン屋にすぐ戻します」って約束を取りつけました。

ーーその頃ですね、ぼくが6月にワーキングホリデーで台湾に来て、出口さんに久しぶりに再会したのは。一番キツい時に会ったんですね。

そう、一番あの頃がキツかったね。元々夏場っていうこともあって、ラーメンは売り上げ下がるでしょうし、その辺の予測ができていなかったのもキツかったかなと。

武藤ラーメン、復活。そしてお客さんが戻る

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ーーなるほど、それで急いで空調工事して戻されたんですね。

はい、再出発しました。それがくしくも武藤ラーメンをオープンした1年後の9月14日だったんです。

ーーあ、ラーメン屋として再オープンした翌日にぼくも訪れましたが、9月15日は記念すべき日だったんですね。

そうそう、狙ったわけじゃないんですけど、工事が終わったのがそこだったんですよ。そして工事が終わって、準備してオープンしたら1年後にラーメン屋として再出発したんです。

ーーそしてラーメン屋に戻したら、お客さんはどうだったんですか?

……いや、めっちゃ戻りました(笑) 常連さん、めっちゃ戻ってきてくれました。

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ーーたしかにぼくも見に行ったら、お昼もすぐにラーメンが売り切れ、夜も閉店を待たずに売り切れてましたよね。

まあその間、常連さんにけっっこう言われとったからね。「仕方なくトンカツを食べにきているけど、いつラーメンに戻るの?豚カツも美味しいけど、やっぱりラーメンが食べたいわ」って。

ーーその常連さんの言葉を聞くと、やっぱまたお店の場所がよかったってことですよね。地域に密着してたからこそ、常連さんも通い続けてくれてたんでしょうし。

そうだね。ラーメンを気に入るっていうよりは、店自体を気に入ってくれた人がそこそこいたんですよね。それを知った時に、地域密着型でまわりの台湾人と日本人からお店を育ててもらってきたんだなって思いましたね。

そしてラーメンに戻したら、単純にラーメンが好きなお客さんも戻ってきてくれたんで、本当によかったですね。そういう感じです。

ーーそうだったんですね。

いろいろあったけど、1年前のラーメンとは比べ物にならないくらいうまいと思います(笑)

ーートライアンドエラー繰り返して(笑)

そうそうそう!(笑) トライアンドエラー繰り返してね。改善、改善、改善でここまでやってきました。よかった、よかった。

まわりの出資者のオジさんを始め、いろんな人に支えられて今がある

Deguchisan boney 001武藤ラーメンの出口さん。台湾人の彼女と一緒に

ーーそうだったんですね。話を聞くと、本当にいろんな方に支えられたんだなぁという印象を受けます。

はい、本当にそうですね。特に資金面でやりくりできたのも、寛大な出資者のおじさんのおかげですし。まあ1,000万円も出してたらさ、早く回収したいってなるじゃないですか?

元々利益が出るつもりで台湾でラーメン屋に投資してたつもりでしょうけど、1年間何も利益が出てないですもん。

本当だったらぼくが叩かれるべきだけど、オジさんは優しく「気長にがんばれ、がんばれ」って言ってくれたんです。

これが銀行からお金を借りてたら、もう無理だね。だからいろいろ運が重なって、今に至ると。

ーー1年間、本当にいろんなことがあったんですね。

はい。だから売上があって、お客さんも入って、成功しているように見えるけど、実際にこの1年間は失敗のしっぱなしです(笑)

ラーメン屋として再スタートを切ってからは持ち直しているんで、2年目は本当にたくさん稼ぎたいです(苦笑)

次回予告 ド素人から台湾でラーメン起業した日本人。国際結婚という新たな一歩へ

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さてアルバイト経験すらない中で台湾でラーメン起業した出口裕介さん、29歳。ラーメン屋のアルバイト経験もなく、中国語もしゃべれず、おまけに海外経験もたった2泊3日の台湾旅行だけ。

しかし自らインターネットで調べまくり、ひたすら行動して、未経験の中から台湾でラーメン起業し、設備トラブルからラーメン屋をトンカツ屋に変えて、倒産の危機も直面しました。

そしてようやくラーメン屋として再オープンして、再スタートを切っています。今回一連の流れをインタビューさせてもらいましたが、さらに出口さんはこれから台湾人の彼女と国際結婚という新しい一歩を踏み出します。

次は最終回です。この先の見えない21世紀という時代で、20代のぼくら若者が目指すべき新しい生き方とはなんなのか?

次回予告 「ド素人から台湾でラーメン起業した日本人。国際結婚という新たな一歩へ 台湾でラーメン屋を開いる出口裕介さんにインタビューしてきました 完結編」をお送りします。

ド素人から台湾でラーメン起業した日本人。国際結婚という新たな一歩へ 台湾でラーメン屋を開いる出口裕介さんにインタビューしてきました 完結編 – あしたはもっと遠くへいこう

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