27歳にもなって「海外に行ってどこでも働けるようになりたい」とあらゆる場所で発表していると、どうやら他人にぼくはあるカテゴリーの人種に写るらしい。
今日もオーストラリアでワーホリするためのおカネを少しでも貯めようと考えてアルバイトの面接を受けに行ったら、そこの店長さんからズーラシアにいる珍獣オカピを見るような目でこう言われた。
「そこでご両親は前原さんが夢を追いかけているという生き方をどう考えられているんでしょうか?」
ウチの両親、特に母親は早く落ち着いてほしいと言っているが、ぼくは30歳までに何かしたらで稼げるようになると言っているので、とりあえず今は納得してもらってる。
ただそれはいいとして、ぼくが気になったのは「27歳でいわゆる正社員というコースから外れてやりたいことを追いかけると、それは夢を追いかけているように見える」ということだ。
でもぼくは夢という言葉が嫌いだ。
なぜなら夢というとフワフワとした雲をつかむような話に聞こえるからである。
「バンドでメジャーデビュー!」
「宇宙飛行士になって宇宙に行く」
「AKB全員とベッドインする!」
ぼくが今からこんなことを語り出したらその時は「オマエ、夢見てんじゃねーよ!」と一発殴ってほしい。
優しい友達は「いや、ももクロくらいにしとけば?メンバーが一人減ったし、まだ叶えやすいよ」と、もしこれをももクロファンのモノノフが見たら、このブログを炎上させかねないくらい危険な慰めの言葉をかけてくれるかもしれない。
でも「海外に行ってどこにでも住んで、働けるようになりたい」というのは、ぼくにとってどうしても夢には思えない。
なぜならそれは思った以上にハードルが低いことだと、ぼくが感じてるからだ。
ハードルはたしかに高い。でも自分が思ってたより跳べそうな気がする。 みんなは世界陸上の棒高跳びを思い浮かべるくらいのハードルを想像するかもしれない。でもぼくにとってそれは高校の110mハードルの県大会突破くらいのイメージだ。
しかも神奈川県大会が選手層が厚くて無理そうなら、こっちは人口が少なそうな島根県の高校に転校して予選突破を狙ってるやるくらいのセコイことを考えてる。
たとえば「海外に行ってどこにでも住んで、働けるようになりたい」というからにはヨーロッパのあの物価の高さはクリアしなければいけないが、ぼくは頑張って30万円くらいを稼げればいい。
だからそれを叶えるためなら寿司職人という選択肢も充分アリだとおもってる。
だってアメリカだと寿司の味がそもそもどういうもんだかわかっていない黒人が握ってたり、フィリピンなどの国では儲ければいいと思って、韓国人や中国人が寿司屋をやったり、しゃぶしゃぶ屋で出したりするレベルだ。
もちろんぼくがやるなら真剣に美味しい寿司を握れるようにやらないと日本人として恥だから頑張るけど、海外に出たら寿司のレベルなんてそんなもんだし、だから日本人の寿司職人は世界のどこでもニーズがある。そしてなかなか取りにくい労働ビザも許可される。
海外に行ったことがない人はもう「日本国内で10年間修行を積んで、技術を極めてから海外に出ないといけないと受け入れてもらえない」と思うかもしれないけど、実際の事情はかなりハードルが低い。ここらへんがぼくがセコいことしてでも海外で自活するためにハードルを下げようとしているところだと思う。夢と目標の違いってなんだろう?
これが「AKB全員とベッドインする♡」なんていう秋葉原の劇場でサイリウム振っているAKBファンから袋叩きに遭うゲスな夢になると、「まず芸能界で権力を持って〜、そのためにのし上がって〜、たぶんバ○ニング事務所とコネクションを付けて〜、」とまるで雲をつかむような話になるけど、
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