人生でやり残したことがあると死ぬ間際に後悔するって本当?交通事故で死にかけた30歳のぼくが救急車の中で確かめてみた

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人間、死ぬ間際に後悔することが出てくるらしいんですけど、あなたは確かめたことがありますか?。

どうも。時速40キロでクルマが電柱にぶつかり、救急車で運ばれたまえちゃん@Maechan0502です。

さてフェイスブックやツイッターを眺めてると時々、

「死ぬ間際の人がナースに語った自分の人生の後悔ベスト10」

なんていう記事がまわってくるんですけど、あれそこに書いてある内容って果たして本当なんでしょうか?

中身を読んでも、「好きなことをやればよかった」だの「ガムシャラに働かなければよかった」だの、それっぽいことが書いてあるだけで、具体例がありません。

……ただそんなこと言っても、確かめたくないのが本音です!だって確かめるためには、死にそうにならないといけませんからね!そんなの絶対イヤだ!!

しかし今回実は、ぼくは交通事故に遭って救急車で運ばれ、警察や救急隊員の人から

「頭打って血が流れてるし、問いかけても意識がハッキリしないから一番危険だね……」

という判断される状態に陥りました。

結果的には「自分のクチビルがドナルドダックになってもうた!」と笑い飛ばせるレベルで無事でしたが、事故に遭った直後は深刻な状況に追い込まれたのが実情です。

その時「このまま死んだらどうしよう?」と向き合わされたので、今回はそんなことを書いてみたいと思います。

ではどうぞ。

目次

昨日まで普通だったのに、いきなり交通事故に遭い、救急車で運ばれた人間は何を思うのか?

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さてぼくは今回、乗ってたクルマが時速40キロで電柱にぶつかり、頭部を強打。右手の甲を骨折して手術しました。

ただ時速40キロで電柱にぶつかるだけで、人は死にそうになるのかよ?

そう思う人もいるでしょう。ええ、その通りです。

何よりぼく自身が一番、「この程度の事故で死にたくない!」と思っていました。

しかしいざ実際に事故が起きてみると、頭を助手席のシートにぶつけただけで、自分が血まみれになりました。

身体を動かそうと思っても口すらまわらず、綺麗だったはずの後部座席には自分の血がボタボタと飛び散るのを眺めるだけ……。

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そして遠のいていく意識の中で、「救急車が来ました!」という声を聞き、「そんなに大ごとになってるの?」と誰よりも自分がビックリしました。

救急車に乗せられても、救急隊員の人からの問いかけにまともに答えられず、救急隊員の人は「ぼくが一番ヤバい」とうちの家族に説明したようです……。

そんな自分をコントロールできない状態で救急車に乗せられた時でした。

初めは自分の後遺症の心配をしていましたが、何度も意識が飛び、身体を動かせない状況で

「あれ、まさかオレ、このまま死なないよね……?」

と一瞬でも嫌な想像をしてしまったのです。

だけどその直後に、ぼくに思い浮かんだのは、「今ここで死んでも、とりあえず全体的に自分の人生に後悔はないな……」という思いでした。

なぜなら5年前にぼくは自分のやりたかった海外生活をすると決め、実際にやってきたからです。

もちろんまだまだやり残したことはいっぱいあります。

本を出版するという夢も叶えてないし、行きたかったヨーロッパにも行ってない。てか、まだモテ期も一回もきてないから、ここで死んでは悔いが残りすぎます……。

でもたった5年間ですが、人はやりたいことをやった時、ある程度人生に満足するんだ。

そうぼくは救急車の中でぼんやりと実感しました。

しかしです。もし5年前にこんな交通事故に遭ったら、ぼくはこんな綺麗事みたいなことを言えませんでした……。

やりたくないことを嫌々やり、人目を気にしていた25年間

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今だから言えますが、5年前までのぼくは正反対でした。

やりたいことが全然叶わないと悩み、その理由を家の経済状況や会社の制度、日本の社会のせいにしてきました。

そして大学受験、就職活動、転職活動で、

「どうやったら人に対して、胸を張れるポジションに自分を置けるか?」

そんなことを必死に悩んでいたのです。

大学受験の時は学校案内の本を読み、就職で有利になる私大Aランクの早稲田大学に行こうと受験しました。

しかし待っていたのは現役不合格という結果。下に弟と妹が3人も控えていたので、嫌々すべり止めのDランクの大学に進学し、1年生の前期は引きこもりました。

大学3年の就活の時もそうです。本当は海外留学したかったのに、また家庭の経済的状況でできなかったぼくは、仕方なく就活を始めます。

でも準備不足がたたって、本当はマスコミ関係に就職したかったのに中古書店の店長職しか受からず、また嫌々就職してしまいました。

25歳の時もそうでした。新卒で勤めた会社が月4日くらいしか休めないブラック企業だったぼくは、たった1年半でふがいなく辞め、今度は市役所で働く公務員試験を受けます。

だけど志望動機が「有給を取れそうで、世間やまわりの人に認めてもらえそう」というアホみたいな理由で選んだぼくは、全部市役所の試験に落ちてしまいました。

そして練習と思って受けた契約社員の面接まで受からなかった時、ぼくはどん底まで落ち込みます。

それが25歳の時です。

振り返るといつもぼくは世間やまわりの目を気にし、その中でいいと思われるポジションを何とか確保しようと、必死にもがいてきました。

でも待っていたのは頑張りきれない自分と、みじめな結果ばかり。

この時点で事故に遭ってれば、きっと…。いや、絶対にぼくの人生は後悔でいっぱいだったんでしょう。

しかし悪いのは全部自分でした。

ぼくは心の中にあったやりたいことから、ずっと目を背けてきたのです。

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大学2年生の時に1ヶ月間、中国に短期留学した時に感じた、好きな感情を好きなように表現していいあの空気。

そう、本当は海外に住みたかったはずなのに、勝手に日本の中でこういう働き方をすべきなんだと自分をがんじがらめにし、人目を言い訳にして踏み出さなかったのです。

世間体や人目を忘れて、自分のやりたいことを考えた時、ぼくのやりたかったことの答えは「海外生活」でした。

そこからです。

世間の声に聞き耳を立て、人目をうかがっていたぼくが、もう後悔しないように全く逆の行動を取り始めたのは。

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好きなことをやると決意したぼくに待っていた猛反対。でもその先に……。

Uluru

海外に行って暮らし、外国人の友達を作り、英語をしゃべりたい。

それが25歳のぼくに思い浮かんだ、本当にやりたいことでした。

「笑われてもいい。どんだけ反対されてもいい。自分はこれをやるためにオーストラリアへワーホリする」

今まで25年間世間体を気にしてきたぼくは、初めて自分が心の底からやりたい生き方を選ぶ決心をします。

しかし案の定、ぼくに待っていたのは母親や親戚のおばちゃん、大企業で働いてる友達からの全否定でした。

「海外に行くのはいいけど、転職活動から逃げているようにしか聞こえない」

「外国に住んで英語を覚えても、日本の就職で何の役に立つの?」

「てか、失敗したらどうするの?もう25歳だよ」

その問いかけに、ぼくは何も言い返せませんでした。

逃げなのは認めるよ。将来うまくいくかなんてわかるはずないだろ。

だけど、もう後悔したくないからやるんだよ。

「25歳にもなって自分探し?」とまで笑われたぼくの海外生活の準備。多くの友達が去り、母親や親戚のおばちゃんはしつこく反対しました。

でもあれから5年経ち、ぼくの自分のやりたかったことは、徐々に現実になります。

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オーストラリアでは苦労もあったけど、英語もしゃべれるようになって、外国人の友達がたくさんできるようになりました。

Chuseikinedo

会社面接からは逃げたけど、ブログで月10万円稼いで台湾に暮らしたいと宣言したライフスタイルは、2年半かかったけど現実になりました。

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あれから6年経って、月一で日本と台湾を往復して、他の国にも旅行に行くというデュアルライフもだんだんと叶ってきてます。

人から見れば、今でも不安定な収入でフラフラしてるくだらない生き方に映るかもしれません。

だけど今ぼくが満足してる海外生活があるのは、すべて25歳の時に海外生活をしたいと決心したのがスタート地点です。

妥協しろ。みんなそうやって生きてるんだから。

ぼくはもうこんなウソを信じません。だって妥協せずにこれがしたいと選んで、頑張ってきたらこんな素晴らしい生活が叶ったんですから。

もちろんその過程にはオーストラリアでの失恋や給料の未払いトラブル、なかなかうまくいかないブログ運営の時期があったのも事実です。

でも妥協していた時は独りで悩んでいたのに、どうしてもこれがやりたいと決めて努力し始めたら、いろんな応援してくれる人たちに出会いました。

ブログの読者さんにブロガー仲間や先輩。海外で出会った日本人や外国人の友達。

月5万円しかブログ収入がなく、台湾に行くのに怖気付いていたぼくを、「さっさと行きなよ!」と酔っぱらって3時間くらい説教してくれたブロガーの先輩など最たる例でしょう。

だからぼくが交通事故に遭い、救急車の中で「死んでもまあいいか」と思えたのは、この5年間で得られたものがあまりにも多かったからです。

死にたくはなかったけど、こんな理由でぼくは少しずつ後悔ない選択を積み重ねてこられました。

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まとめ きっと後悔しない人生はこれ「で」いいの積み重ねではなく、これ「が」いいの積み重ねの毎日

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今回交通事故に遭って振り返ってみると、意外なほどぼくは人目を気にして妥協してきた選択でつまづき、逆にどうしてもこれがやりたいと思った選択ではうまくいってきました。

そして人目を気にしてきた時ほど、自分の環境に不満を言って後悔し、逆に自分のやりたいことをやろうと行動した時ほど満足したと実感します。

もちろんやりたいことをやるのはラクではありません。

やりたいことが大きければ大きいほど、多くの友達や親に反対され、時には泣きたくなるくらいへこまされることもあります。

一回やりたいことをやりたいと決断できたからといっても、数年後にはいつのまにか台湾に行くのをお金を理由に言い訳してる、情けない自分もいました。

【関連記事】

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やりたいことをやるなら、まわりの環境や人間関係だけでなく、臆病で弱い自分とも何度と向き合わないのは、本当に厳しい現実なんでしょう。

でも人生は突然終わるかもしれない。それはぼくの身に起きたように、誰にでも起こりうる事実です。

事故、大病、震災……。

だからこそそんな出来事が起こって、あわてて自分を振り返る前に、「どうしてもやりたいことを選ぶべきだ」と、ぼくはちっぽけな自分の人生から感じます。

それは自分の将来をどう選ぶかのような、大きな分岐路だけの話じゃありません。

ぼくの取っているメールマガジンで、ある尊敬してる人はこんな回答をしていました。

どんな人でも「選択」をする日々のはずです。その選択には「損得」もありますが、「好き嫌い」もあるはずです。

毎日のランチの献立を選ぶのも、Tシャツ一枚買うのも、多くの選択肢の中から「好き」なものをお選びになっているはずではないでしょうか?

これ「で」いい、と思うより、これ「が」いい! と思う方が人生楽しいのは間違いなく、その前者と後者は同じ選択でも雲泥の差だと僕は考えます。

毎日のこれ「が」いいの積み重ねの先に、納得した将来の自分の暮らしができ、それが後悔しない人生につながる。

ぼくが今回交通事故で改めて気づかされたのは、ホントそんな事実でした。

何度か大きな人生の岐路ではこれ「が」いい!と思える選択をしてきたけど、これから毎日の細かいことでも、自分のやりたいことをもっと増やしたい。

いつか死ぬ日がきたら、もっと満足した!と思えるように、丁寧に進んでいきたいです。

さあ退院したから、早く治してまた海外に行かないと!

ではまた。

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この記事を書いた人

職業HP制作業者、ライター、ブロガー。北海道札幌市在住。ブロガーやライターとして培ってきた取材インタビュー能力を活かし、お客様に自分達の商品・サービスが伝わるHP制作業を営んでいます。

過去に1年間のオーストラリアワーホリ、4年間の台湾在住、コロナ禍で帰国。神奈川県横浜市から北海道札幌市に移住し、暮らしています。

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