私ことマエハラ(35歳)が子供部屋おじさん(通称こどおじ)になり、1年9ヶ月が経ちました。
それまで住んでいた場所は海外の台湾。メインの仕事はブログです。しかし、聞き慣れない人もいるかもしれません。
ぼくの仕事が、ア◯ウェイや創◯学会などの怪しい仕事と勘違いされないためにも、少しだけブログの仕組みを紹介します。
ブログの中に広告を入れ、それをクリックしたり、買ってくれた人から広告収入を得る。
他にも企業や地方政府から商品レビューやツアーの参加を依頼され、試してPR記事にする。
これがブログで稼ぐ仕組みです。IT広告業ですね。
以前は台湾の地方政府(日本でいう千葉県のようなところ)からお呼ばれして、ツアーと記者会見にぼくも参加しました。
こんな経歴を言えば、少しは真っ当な人間だと思ってもらえるでしょうか?
ブロガーのぼくは、文章を書いてYouTuberと同じ仕組みで広告収入を得ています。
いや、「得ていた」というのが正しい表現でしょう。
今のブログ収入は、月5桁にも届きません。
ブロガーから転落したから、子供部屋おじさんなのです。
ブロガーもYouTuberもGoogleの手のひらで踊らされるとよく言われます。しかし、私が転落した理由は、予想の斜め上からやってきました。
台湾政府の決断です。
2020年3月下旬に台湾政府は、コロナウイルスを国内に入れないため、全世界からの観光客の受け入れを停止しました。
ぼくのブログへのアクセスも、一気に1/10以下に急転直下。
さんざん台湾の観光のことをブログに書き、日本人に向けて私は宣伝していたのに、まさかの裏切りが台湾政府とは。
いや、コロナウイルスが流行ったので仕方ありません。文句を言うのはお門違いなんでしょう。
ただ、アクセスの減ったPC画面を見ながら、台湾の家を引き払うことをぼくは決意しました。
2020年4月。成田空港に降り立った自分を横浜に住む父は迎えにきてくれました。
これから自分はどうするんだろうか?
自家用車のヴィッツの助手席から横浜ベイブリッジを眺め、ぼんやりとした不安にさいなまれる。
しかし、その後の待っていたのは、時間をムダにする自分の生活でした。
子供部屋おじさんの2020年4月から2021年12月までの歩み
2020年の4〜7月くらいまでは、外にも出られず、ただ自分の育った子供部屋で自粛していました。
たまにYouTubeを作るくらいで、しっかりした仕事もしません。
自分の生活費は、持続化給付金と自分の貯金で食い潰していました。
ようやく国内移動ができるようになった2020年12月。
久しぶりに神戸で会ったブロガーの先輩や仲間はちゃんと仕事をしていました。しかし、自分は何もしていません。
かつてはブロガー4人ですが、今は社長3人と無職1人。腫れ物に触るように気を遣われながら、これからの将来のアドバイスを自分は受けました。
2021年1月。さすがにこれではいけないと思い、リハビリを兼ねてTwitterで台湾情報をぼくはつぶやき始めました。
しかし、今度台湾在住のオッサンや元留学生にこいつの台湾情報はフェイクだと叩かれたのです。
台湾にいた時はツイート1つに40〜50いいね!がついたのに、サンドバッグのように批判されました。
(この件は、今でも批判してきたオッサンの態度に納得いってません。なぜなら知り合いであり、現実で会った時もオッサンが起こしたトラブルの後始末をぼくがしたからです。ネットで人を批判する前に、自分のやったことを反省してほしい。)
台湾にいたっては、いつまでも行けません。
2022年は観光再開で行けそうかと思ったら、2021年11月にオミクロン株が出てきて、再び鎖国に近い政策に戻りました。
お前のやっている海外観光の仕事は必要ない。不要不急だ。
世間からそんなメッセージを受け取るのは、キツいものがありました。
もちろん根本的にはリスクヘッジせず、コロナ禍でも新しい行動をしなかった自分が悪いのです。
もし台湾にいる時から、ブログの他に業務委託でいいからライターをやっていれば。
仮にコロナ禍になっても、すぐにクラウドソーシングでサイト制作の仕事を請け負っていれば。
そうすれば、収入的にも心にも余裕ができ、ただ時間をムダにせずにできたのかもしれません。
しかし、当の本人はやる気が出ずに、台湾観光再開を待つばかりでした。
何もしないのが、人生で一番の失敗だ。
よくそう言われるけど、あれは本当に正しいんでしょう。
33歳から35歳になり、台湾に住んでいたブロガーから横浜に引きこもった子供部屋おじさんになってしまいました。
さて、このまま台湾観光再開までぼくは実家で待ったほうがいいのでしょうか?
コロナウイルスはいつまで経ってもおさまらずに変異株が出て、三歩進んで二歩下がるのような生活を繰り返すばかりです。
いや、台湾にも行けず、自分のやりたいこともできないません。このままでは老いて、自分のスキルすら腐ってしまいます。
決断できないダラダラした日々を1年9ヶ月も続けてしまいました。
子供部屋にいた時間に意味と学びはあったのか?
この子供部屋の1年9ヶ月は、ぼくにとってなんだったのでしょう。
以前『赤めだか』という落語家の前座修行時代を描いたエッセイで、落語家の立川談志の語った言葉が、ふとよみがえりました。
よく覚えとけ。現実は正解なんだ。
時代が悪いの、世の中がおかしいと云ったところで仕方ない。
現実は事実だ。そして現状を理解、分析してみろ。
そこにはきっと、何故そうなったかという原因があるんだ。
現状を認識して把握したら処理すりゃいいんだ。
その行動を起こせない奴を俺の基準で馬鹿と云う。
立川談春著 『赤めだか』より
実家の子供部屋に1年9ヶ月いた自分で学んだことは、弱い自分に気づいたことです。
コロナ禍でやる気も出ず、ネットの中傷で傷つき、世の中にお前の仕事は必要ないと言われた気になり、へこむばかり。
いまだにネットの中傷は許せないし、早くコロナ禍の状況が元通りになってほしい思いもあります。
しかし、そこの部分は自分のコントロールできない部分です。
この子供部屋に1年9ヶ月いる自分が馬鹿であることを学び、これ以上の馬鹿にならないため必要なのは、行動です。
この子供部屋を出て行こう。
一人で出て、家を借り、家賃と生活費をなんとか稼ごう。ガツガツと働く35歳のおじさんになるのです。
それだけではありません。
今までの台湾をはじめとする海外生活でつちかってきたスキルを使い、もう一度情報発信をしていきます。
日本国内で観光系のWebサイトやSNSアカウントを作り、挑戦するのです。
今までやってきた場所にしがみつくのではありません。自分が誰かに喜んでもらえる情報を発信して、自分から居場所を作ってみます。
その場所が北海道の札幌です。
なぜ台湾に4年半も住んだヤツが札幌に住むのでしょうか?
いちおう自分なりの仮説と戦略はあります。
ぼくは35歳の子供部屋おじさんですが、さすがに無計画では行けません。
なぜ自分が札幌に行くのかというのは、次回の記事で書く予定です。
唯一の悩みは、自分が寒いところが苦手なことですが、甘ったれた子供部屋おじさんの頭を冷やすのに、札幌の寒さはちょうどいいでしょう。
というわけで、35歳の子供部屋おじさんのぼくは、北海道の札幌移住を2022年2月から実行します。
2021年12月31日 22時30分
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