台湾というと500年くらいしか歴史がないのですが、実はとある場所で4,000年以上の歴史を味わえるって知っていますか?
どうもこんにちは、台湾在住4年目のまえちゃん@Maechan0502です。
さて、台湾というと歴史が1,500年くらいから始まっているので、あまり歴史の古い建物がありません。(原住民の歴史を除く)
台湾で最も歴史の古い建物の一つ、台南の赤崁楼(旧プロヴィンティア城)も1,600年代に建てられています。
だから日本の京都や奈良と比べると、建築物から数千年の歴史を感じることはできません。
ただ、台北の故宮博物院は別なんです。
ここには中国四千年の秘宝が「何故か台湾という島国にある」ので、今回このストーリーを紹介します。
「今の台湾(中華民国)の国がどうやってできたか?」も関係があるので、興味ある方は読んでみてください。
ではどうぞ。
歴代の中国の皇帝たちがお宝を作らせ、集め続けてきた
なぜ中国歴代のお宝が台湾の故宮博物院にあるのか?
その謎を解くには、まず中国のお宝の歴史を知る必要があります。
歴史を振り返ると、中国の王朝は紀元前2,000年前の夏王朝から1,912年まで続いた清王朝まで、約4,000年続いてきました。
この4,000年間、歴代王朝は中国大陸でお宝を作り、集めてきたのです。
・歴代の王朝がお宝を集めつづけ、王朝が変わってもお宝は引き継がれた。
・陶磁器は朝廷直営の窯(官窯)で焼かせ、その最上のものを残して、残りは全て壊させた。
・最後の帝国の清は中国全土に散らばる役人が、皇帝へ献上するためにお宝を集め、北京へと送った。
などなど、ZOZOの前澤社長などのお金持ちが1〜2代で集めた宝物とは違うのが特徴でしょう。
なんせ中国大陸を統一した皇帝たちという、お金持ち中のお金持ちなのですから……。
これらの中国4,000年のお宝を最後に持っていた皇帝が、清朝の宣統帝溥儀(ラストエンペラー)
中国4,000年の宝物が皇帝の元に集められたと言いましたが、保管された場所は中国の北京にある紫禁城です。
紫禁城は別名で故宮と言い、明と清という二つの王朝が、1406年から1912年の間まで使っていました。
約500年間も政治と権力の中心だったので、それはもうたくさんの宝物が集められました。
地方に散らばっている役人が宝物を探し、自分の出世や利権をもらうために、皇帝にプレゼントするのです。
こういった理由で最後の中華帝国が滅びる寸前に、紫禁城(故宮)には目もくらむほどの宝物があったそうです。
ただそうしたお宝も、1911年に新しい国、「中華民国」ができることで、北京の故宮から離れる運命の足音が近づいてきました。
中国最後の王朝「清」から、アジア初の共和国「中華民国」になった時、宝物は盗まれそうになった
ぼくが持っているのは中華民国の国旗です
1911年。中国大陸で新しい国ができます。それが孫文率いる、アジア初の共和国・中華民国です。
すでに国の半分が欧米と日本に支配権を握られていたふがいない清朝の現状に、中国人は怒っていました。
その最後の帝国の清朝は、翌年の1912年2月に終わりを告げます。わずか6歳のラストエンペラーは退位。
しかし急に皇帝を追い出すことはできず、皇帝と働いていた人たちは、紫禁城(故宮)でそのままの生活をしばらくすることが許されました。
ただ、いずれは追い出される運命です。清朝の紫禁城で働いてた宦官(かんがん・股間のボールを取った男性)や内務部の人間(政治の補佐の人たち)は、一斉に紫禁城にあるお宝を盗み出しました。
またびっくりすることに宝物を盗もうとしたのは部下だけではなく、ラストエンペラーの溥儀自らお宝を盗んでいたことです。
わずか10代の皇帝の溥儀も、いずれ北京の紫禁城(故宮)から追われることを予想して、弟の溥傑(ふけつ)に毎日お宝を渡していました。
弟の溥傑は故宮の外に住んでいたので、半年以上も学校の帰りに故宮に寄り、風呂敷に包んで持ち出したそうです。
その数は、書画一千点、宋時代の書籍に二百種類に上ります。
そして1924年のある日、ラストエンペラーは紫禁城(故宮)から退場することになりました。
中華民国が正式な手続きを踏んで、中国最後の清王朝から引き続いだ
中華民国が清朝から政権を受け継いだ1912年から12年後の1924年。
中華民国の馮玉祥(まぎょくしょう)が北京の紫禁城(故宮)に軍隊をよこし、李石會(りせきそう)がラストエンペラーに皇帝特権の廃止を迫りました。
これでラストエンペラーは500年間も皇帝がいた、紫禁城(故宮)から追い出されることになったのです。
わずか3時間でラストエンペラーに退去を迫りました。
そこで紫禁城(故宮)にあった宝物を引き継いだのが、中華民国です。
北京の紫禁城(故宮)にはたくさんの宝物があったので、まず中華民国は何があるのかを調べ始めました。
10人前後のグループを作って、5人が働き、5人の警察や軍隊が見張るほどの厳重なチェックだったそうです。
そして1925年に皇帝の歴代のお宝を公開します。これが北京にあった故宮博物院の由来です。
北京の故宮から離れる宝物 原因は日中戦争だった
1931年。が勃発し、北京の故宮博物館の宝物は移動する運命になってしまいました。
原因は日本にあります。
当時の日本は欧米列強と同じように、中国の領土を狙っていました。
そこで中国大陸の北側から攻めて行ったのです。
中華民国はお宝を隠すために上海へ輸送。
1936年12月に全ての故宮文物は上海から南京の故宮博物院分館に送られました。
しかし1937年に日中戦争が勃発し、さらに宝物は中国の山奥へと輸送せざるを得なくなります。
宝物は木箱に入れられ、いくつもの山を登り、川を渡り、成都近くの「峨眉」、重慶先の「楽山」、貴陽先の「安順」の山の中の洞窟に戦争が終わるまで保存されました。
7,281箱、9,369箱、80箱の計1万6,730箱が中国大陸を大移動したそうです。
これだけの数の宝物は、爆撃も、大火もかわし、戦争が終わるまで全部保管されたました。
しかし1945年、やっと日本との戦争に勝利すると、重要な中国4,000年の宝物は台湾に渡る運命が待ち受けていたのです。
最後 第二次国共紛争で宝物は台湾に
蒋介石ひきいる中華民国(国民党)が、やっと日本との戦争が終えたと思ったら、今度はもっと大きな試練が待ち構えていました。
それが毛沢東率いる中国共産党との内戦です。
日本との戦争が終わるまでは手を組んでいた両者ですが、そこは資本主義と共産主義でした。
政治的なシステムも、考え方も、全く違うので、ついに中国大陸で戦争を起こしてしまうのです。
そこで負けてしまったのは中華民国側でした。
日中戦争では日本兵と戦って勝った中華民国も、中国農民と手を組んだ中国共産党には勝てません。
中華民国は中国大陸本土から撤退し、日本の植民地だった台湾にお宝と共にやってきます。
こうして中華民国は中国大陸から今日に至るまで戻らず(戻れず)、今に至っています。
そして宝物は台北の故宮博物院に展示されているのです。中国大陸のラストエンペラーから最後に受け取った宝物だとして。
最後に
というわけで、どうでしたでしょうか?
今回はどうして中国4,000年の宝物が、「なぜ台湾の故宮博物院にあるのか?」を紹介してみました。
わかりやすくしようと思ったもののの、だいぶお堅い話になってしまった気がします。
ただよく言われる「台湾は中国ではない」という理由は、「台湾の故宮博物院になぜ宝物があるのか?」という話とリンクしてるんです。
中国最後の王朝から正式に国の権利を引き継いだものの、中華民国はその後に中国大陸から負けて、台湾に行ってしまいます。
「最後の皇帝から政権(と宝物)を引き渡してもらったのは、中華民国である。だから私たちが本当の中国だ」
これが台湾の主張なので、その根拠となる宝物を台湾に見にいくと、実は中国も知ることができます。
中国大陸に行ってもニセモノの展示ばかり置いてあるそうなので、台湾に行ったら本物の宝物がある故宮博物院にはぜひ行ってほしいです。
それでは楽しい台湾旅行を!
ではまた。
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