自分は38歳になり、そろそろ下り坂に入った気がします。そう思ってた時にピッタリのエッセイが出たので、読んでみました。
書籍の名前は、『パーティが終わって、中年が始まる』です。
書いたのは、日本一の有名なニートを名乗って活動してたphaさん。
2000年代後半から2010年代、「新しい生き方を探すブーム」がインターネット上にありましたが、phaさんはその先駆者の人です。
2008年くらいからインターネットをやっていた人には有名ではないでしょうか?ギークハウスというインターネット好きが集まるシェアハウスを運営していたのですが、phaさんの画期的だったのは自分のシェアハウスの運営方法をインターネットに公開していたことです。
今はネットでノウハウをシェアするのは当たり前ですが、2008年くらいは非常に珍しいことでした。
このブログも「海外で生活しよう!」と言って、2010年代はオーストラリアや台湾で生活して、どうやったら住めるか?というノウハウをブログでシェアしてました。当時のぼくも彼に影響を受けた一人です。
そんな時代の先を行っていたPhaさんが出した2024年6月に出したエッセイが、『パーティが終わって、中年が始まる』です。切ない。
でも、面白いんです。これ。変わっていく時代とついていけなくなっている自分を観察していて、それが絶妙な風味を醸し出してます。
個人的には、2010年くらいから2019年くらいまでインターネットにどっぷりハマっていた人に読んでほしい一冊です。
そして、自分語りをしてほしい。いや、したくなる。
ちょっと書評を書いてみました。
デフレ文化から抜け出せないというエッセイに語られる自己観察
エッセイの一つに、「デフレ文化から抜け出せない」という話があります。日本一有名なニートを名乗っていたphaさんは、10年前くらいに著書の中で「チェーン店があれば生きていける」という話を書いていました。
物心ついた時はすでに不況で、デフレ・デフレと唱えられていた平成の時代。若い頃はマックのハンバーガーが50円で、ファミレスに行けば600〜700円で何か食べられました。朝から晩までダラダラできるスーパー銭湯や漫画喫茶に行き、時間を潰せる。
それを、「こういう暮らしでもいいじゃない」とブログやツイッターで発信し、書籍でも書いていたのがphaさんです。
「これは楽しいけど、あんまりダラダラしたり、ファミレスで飯ばかり食べてちゃダメかも」という空気がぼくにはあったのですが、phaさんはそこをネットや本で肯定していたのが印象的でした。
しかし、2022年ごろからインフレになり、深夜まで仲間とダベっていたファミレスは1,000円を超えるのも珍しくなく、0時閉店になって行きづらい場所になっていたと書いています。
代わりにphaさんは今、町中華に通っているそうです。年金世代のおじいさん・おばあさんがやっているお店で、安いご飯を食べつつ、たまにチェーン店のファミレスにも行くと書いてあります。
「あまりお金がなくても、インターネットで遊び、安いチェーン店に行って、ふらふらしているのが楽しい」
そんなことを書いていたphaさんは、あまりにデフレの感覚に慣れすぎ、40代になって変えられないそうです。
上の世代を見ていると、価値観が変わって古くなるのはわかっていたのに、意外と40代の自分も時代についていけない。そんな心境が素直につづられています。
phaさんは言います。インフレに備えて外食スキルを今のうち身につけておくべきだろうか。
「いや、デフレ文化に慣れ親しみすぎたから、もうこうなったら最後までデフレ文化を楽むべきかもしれない。今のうちにサイゼリヤのドリンクバーで粘ったり、安いスーパー銭湯や漫画喫茶に行ってダラダラ過ごそう。帰りにはコンビニのスイーツも買うんだ。ノスタルジーに浸る準備をしよう」
町中華がいいんだとも言わないし、ついていけなくなってるから高くなる前に、平成の文化であるファミレスと町中華を楽しんでおくか。くらいの心境なのがいいと思いました。
うつろいゆく時代とついていけなくなりつつある自分。その心境を言葉にしています。
18編のエッセイがあるのですが、こうやって時代についていけない中年の自分の心境を観察しながら書いているのが面白かったです。
やっていることはぼくと違うけど、似ている
phaさんの話にグッとくるのは、ぼくもやってることは違うけど、同じタイプの人間だったからです。
2010年代は「インターネット、スマホ、LCCを駆使して海外で安く生活しよう、旅行しよう」とぼくもブログで提唱してきました。
オーストラリアにワーホリしたり、台湾のゲストハウスの一部屋を借り、まだ情報があふれる前のインターネットで、このブログを通じて海外の情報をシェアし、そこから入ってくるアフィリエイトのブログ収入を得て生活してきた経験があります。
それを書いてきて反響があったし、ネットやリアルを通じて、「これから、ぼくも、私も海外に行きたいんです。実際にやっています」という人に出会ってきました。
2015年に台湾でオフ会を開いたら日本から50人も集まって、自分達のやっていることに驚いた覚えもあります。
「38歳になったオッサンが何を言ってんだよ」と思われるかもしれないけど、あの頃は「自分達は時代の最先端にいる!」という感覚がありました。
でも、あれから10年近くが経つと、それが若者の特権だったというのが恥ずかしながらわかります。
円安になって海外には行けないし、ブログよりYouTubeの時代だし、LCCは夜行バスみたいなものだからJALやANAを使いたい。なんならビジネスクラスの乗りたい。
そう思います。
自分も時代についていけないし、海外もご無沙汰。YouTubeもやったけど、動画には向いておらず、結局テキストの世界に戻ってしまいました。
あの頃の経験は今も役に立ってると思うけど、生活がガラッと変わった現在と比べると、幻のような生活だという気もします。
ぼくもパーティーが終わって、中年が始まる一人だと思うのです。
ぼくらの時代が終わり、言葉で総括されていく
この本を読んで感じるのは、ぼくらの時代が終わったという感覚です。文化祭が終わって、後片付けをする感覚に近いのかもしれません。
このエッセイは、「平成」「デフレ」「インターネット」「若者」など、あの頃の感覚が言語化されています。それが、「令和」「インフレ」「中年」という比較対象ができて、初めてあの時代はなんだったのか?と言える気がしました。
「団塊」「ロスジェネ」など、特定の世代を描いた小説や言葉はありますが、初めて自分たちの世代と文化が振り返っていると思います。それが新鮮だし、読んでいて「終わったんだな」と寂しさのフレーバーを感じるエッセイでした。
もう少しで2007年から2019年くらいのあの時代にも名前がつけられるのでしょう。
それを体感して、ぼくらが自分語りするのに、とてもいい本だと思いました。
ぜひ、あの頃ブログを一生懸命書いたり、読んで知識を吸収しようと思っていた人に読んでほしい1冊です。
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