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ブログ 「あしたはもっと遠くへいこう」について

2013年5月から7月のフィリピン英語留学、2013年11月から2014年10月までのオーストラリアワーキングホリデーを経て、現在2015年6月から台湾ワーキングホリデー中の前原和裕 (まえはらかずひろ)が旅しながら綴るブログです。

台湾では現地の仕事をせずに、このブログからのブログ収益とWebライター収入のみで生計を立てています。

ブログのPVは現在平均32〜34万PV、過去最高のPVは51万PV。だいたい毎月平均で16万人に読まれています。

ブログのテーマは主に

  • 台湾の観光情報
  • 台湾生活情報
  • オーストラリアワーキングホリデー
  • フィリピン英語留学
  • 海外旅行道具レビュー
  • 海外旅行お役立ち情報

等です。

そして運営者のぼく自身が、

「海外でつまづきながら、ブログ収入で独立して海外で生活していくリアルな日常 (ドキュメンタリー)」

がメインテーマになっています。

運営者プロフィール 前原和裕について

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名前:前原和裕 (まえはら かずひろ)

生年月日:1986年生まれ 30歳

趣味:旅行、読書、音楽を聴くこと、サイクリング

Twitterアカウント:@Maechan0502

現在台湾の台南市に在住。2015年6月から台湾の首都台北市に半年間住んだ後、2015年12月から台湾南部の台南市へと引っ越す。

今まで渡航した国と都市は

  • 中国 大連(20歳の時に1ヶ月間大学のプログラムで短期留学)
  • 中国 上海(21歳の時に2週間の短期留学)
  • 台湾
  • 韓国
  • インド
  • フィリピン
  • シンガポール
  • タイ
  • カンボジア
  • オーストラリア

現在はオーストラリアと台湾のワーキングホリデーを経て、日本と台湾を往復しながら、暮らしています。

生い立ち

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1986年5月2日 新潟県新潟市内の病院で生まれる。4人兄妹のなか1人だけ好奇心が非常におう盛な長男として育つ。

1歳の頃に父親の出張の迎えで羽田空港に母に連れられていったところ、初めて見る飛行機に感激し、両手を広げて「ブーン!」といいながら空港内を走り回る。

それを見て既に弟を身ごもっていた母親は「こんなに感激するのだからお腹の次男にも生まれたら見せにきてあげよう」と誓い、和裕の弟が立てるようになった頃に連れて行った。

しかし弟は「ぼーっ」と眺めるだけでウンともスンとも言わず、長男・和裕の反応だけが過剰だったことを思い知って、母親は心底ガックリしたそうである。

ただその時の羽田空港での幼児体験に影響を受けたのか、本人はいま月に5回以上も飛行機に乗る生活をしている。

1993年4月 地元の小学校に入学

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入学後しばらくすると退屈だったので、地元のボーイスカウトに入団する。キャンプやアウトドアなどの活動が面白そうで本人からやりたいと言い出したことだったが、活動が日曜の朝からだったため、朝の仮面ライダー等の特撮番組が見れず、すぐに後悔。

そこで母親に「朝8時からやる『重甲ビーファイター』が観たいから辞めたい」と非常に説得力のない告白をしたところ、大学時代ワンダーフォーゲル部で山に青春をかけた母親から激怒され、イヤイヤ続けることになる。

だがそのおかげでどこでもテントが張れる、火が起こせる、コンパスの読み方やロープ結び、荷物のパッキング等がうまくなるなど、他の人よりサバイバルできるようになったため、大人になったときにあの時続けたことに非常に感謝した。

またボーイスカウトに入っていた時に初めてイベントで、横浜市瀬谷区にある米軍のレクリエーションセンターに連れて行ってもらう。

小学3年生ながら、日本なのに基地内で英語が飛び交い、使用するお金も米ドルで、身体に悪そうな青いジュースが売っている「外国」の光景に衝撃を受けた。

人生で20歳になるまで海外の地を踏むことはなかったが、振り返るとおそらくこの時、異国を知った楽しい思い出が海外へ行きたいと思う原体験になっている。

ちなみに帰り道、米軍基地で買って飲んだ青いジュースにお腹を壊し、泣きそうになりながら急いでトイレへと走ったのも今となっては良い思い出である。

1999年4月 横浜市立の中学校入学

当時進学し地元の中学は横浜市内で一番窓ガラスが生徒によって割られる学校であり、トイレはタバコ臭く、行儀よく真面目なんてできやしなかった上級生が4階から机等を放り投げる無法地帯であった。

そんな中で和裕少年はグレることなく、かといって女子にモテるわけでもなく、地味な3年間を過ごす。

2002年4月 神奈川県立荏田高等学校入学

高校時代は部活にはいろいろ入ったが、最終的に囲碁・将棋部に落ち着く。

部活での3年間の目標は校内マラソン大会で50位以内に入ること。

50位以内に入ると「名前」と「所属部活名」が載る順位表で、陸上部や野球部の体育会系に混じって「前原和裕 囲碁将棋部」と載せることが夢だった。3年の時の最高順位が75位で涙をのむ。

部活動や成績はパッとしない学生生活だったが、旅行好きとなる転機が高校1年生の最後の国語の授業で訪れる。

1年間非常につまらならないおじいちゃんの授業だったが、最後の最後に世界一周した20代の友人を連れてきて、そこで海外にバックパックを背負い、英語もできないのに世界一周の旅に出た話をしてくれた。

それが本当に50分間忘れられない授業となり、退屈で特に目標もなかった高校生活だったが、自分も旅に出ようと決意する。

高校時代は青春十八切符を使い、高校のGWや夏休みを使い、愛知県の名古屋、香川県の高松、広島などを巡る。

特に初めて旅した名古屋の旅行ではふらっと入っていった高校のバレー部が先生たちと焼肉をやっていて、そこに混ぜてもらったりして、旅の出会いの面白さにとりこになる。

2005年 東洋大学社会学部社会学科入学

大連

本当は早稲田大学や明治大学に行きたかったのに、受験に失敗して滑り止めの東洋大学に現役で入学。ショックでせっかく入学したのに3ヶ月くらい引きこもる。1年生の時は特に楽しいこともなくやり過ごす。

しかし大学2年生の春休みに大学の短期留学プログラムで、中国の大連の大連外語大学に1ヶ月間留学。そこで海外の面白さに気づかされる。

またそこで出会った友達に本当に恵まれ、今でもよく集まって母校の箱根駅伝を応援したり、お酒を飲んだりして続いてる。

大学に入ってからは旅の良さを忘れていたが、それから再び国内や海外旅行に積極的に出るようになった。

その後、中国の上海、台湾の台北、韓国のソウルを旅行。

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そして大学時代最後の旅行でインドにバックパック1つで1人旅に出て、まったく日本と違う価値観、時間の流れにショックを受ける。

この時に「日本以外とは違う世界がある」とワクワクさせられた海外経験が決定打となり、心の奥底で海外に行きたいという思いが募る。

2009年 某新古書店をフランチャイズ展開している会社に入社

本に関わる仕事がしたいという動機で入社。人が足りなかったため、入社して数ヶ月で店長になる。社会人としての仕事への意識や仕事のやり方、なによりパートの人と信頼関係の築き方などを学ばせてもらう。

しかしその一方で開店から閉店まで働くことがある自分の業務。それに自分の9割近い時間を注ぐ働き方に疑問を覚える。

2010年11月 退社

もう少し自分の時間を持ちたく、公務員試験を受けるため一年半で退社。

ちょうど体調を崩した祖父の介護をしつつ、一年間公務員試験を受ける。

2011年 11月 もう一度海外に行こうと決意する

1年間勉強した公務員試験では面接が苦手なこともあり、筆記試験は通るものの、面接で全部落とされて、自分の人生に悩むほど落ち込む。

しかしもう一度人の目や世間体を気にせず、自分のやりたいことをやろうと考えてみたところ、「海外に英語を勉強しながら外国人の友達を作って生活したい」と気づき、オーストラリアへワーキングホリデーを目指す。

それから両親に告げたり、アルバイトを掛け持ちしたり、パソコンを購入してワーホリに向けてブログを始めるなど、1年半準備をした。

詳しい経緯はこちらをどうぞ。

【エッセイ】 ぼくがオーストラリアへワーキングホリデーに行こうと決意したその理由 その1 | あしたはもっと遠くへいこう

【エッセイ】 ぼくがオーストラリアへワーキングホリデーに行こうと決意したその理由 その2 | あしたはもっと遠くへいこう

【エッセイ】 ぼくがオーストラリアへワーキングホリデーに行こうと決意したその理由 その3 | あしたはもっと遠くへいこう

2013年5〜7月 フィリピン英語留学

特にワーキングホリデー前に行った3ヶ月間のフィリピン英語留学では、多くの外国人の友達ができ、二十代で一番忘れられない経験になった。

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2013年 11月13日 オーストラリアワーキングホリデー

2013年11月、オーストラリアの第2の都市メルボルンでワーキングホリデー開始。

2014年 10〜12月 二度にわたる台湾旅行

2015年 6月 台湾の台北で台湾ワーキングホリデー

Chuseikinendo

2015年 12月 台湾の台南市に移住〜現在に至る

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よろしくお願いします!!

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