海外でおカネを稼ぎながら世界中を旅できたら、最高だと思いませんか?
こんにちは。ブログでおカネを稼ぎながら、海外で生活しているまえちゃん@Maechan0502です。
さてぼくは今言った通り、ブログで稼いで海外に暮らしています。この生活ができるようになるまで2年半はかかったので決してラクではないのですが、しかしぼくはWi-Fiとパソコンさえあれば海外で暮らすことができています。
だけど海外で生活するようになって、ぼくはブログというIT系の自分の仕事とは正反対の、楽器やを演奏したり、パフォーマンスをして路上でチップを稼いで生活するバスキングという職業を知るようになりました。
バスキングの方法はアナログです。だからぼくは最初は世界中で稼ぐって、いろんな方法があるんだと感想を抱くだけでした。
だけどぼくは今回自分の住んでいる台南で、アヒルを被ってパフォーマンスするバスカー(バスキングする人)、トニーさんに出会います。
最初はアヒル被ったトニーさんの変顔パフォーマンスが気になったぼく。
しかしパフォーマンスを見て言葉が話せなくても台湾人をトリコにするパフォーマンスに釘付けになり、そして話をしてみて37歳からバスキングを始めて海外を目指したトニーさんの生き方、働き方に対する考えが気になり、ついにはインタビューまでしてしまいました。
そして話を聞いて驚きました。だってトニーさんは自分で稼ぐ今のスタイルを35歳から始め、それで38歳の時に世界一周まで成し遂げたのに、過去にはバイトを全部クビなり、挙げ句の果ては消費者金融で借金するほど、働くのがダメな人だったからです。
なぜトニーさんはそこまで変われたのか?そしてなぜ35歳から新しい生き方を始める勇気が出たのか?これから海外へ出る人の参考になれば嬉しいです。では全3回を予定してるインタビューをどうぞ。
就職経験なし。バイトは全てクビ。消費者金融で借金までしたトニーさんが、バスキングで自分の意志で働いて世界一周するまで
ーーではお名前と年齢とご職業を聞いてもいいでしょうか?
名前はスターダック・トニー。年齢は秘密で!でもぶっとばしてます(笑) 職業、バスキングと呼ばれるバスカーです。
ーーハハハ、ありがとうございます。トニーさんはいつもスターダックトニーと名乗ってますよね?ぼくもいつもトニーさんと呼ばせてもらってます。なぜ「トニー」というニックネームなんですか?
それ、本名からきてんやけど、そこから「トニー」になったんよ。
ーーあ、最初から英語で名前をつけたわけなじゃなかったんですね(笑) トニーさんはバスキングでどんなパフォーマンスをやられているんでしょうか?
アヒルのマスクを被って、ワンマンバンドやってます!タンバリンとギター、自転車のホーンとか使ってね。で、バスキング始めた世界一周中は演奏だけだったけど、けっこう演奏とかワンパターンだったんよ。そこでマジックとかしたらウケるだろうなぁと思って、世界一周から帰ってきた後にマジックとか取り入れた。
だから今はパワーアップしたと思う。ちょっとずつ増えていって、絶賛増加中!みたいな(笑)
トニーさんのバスキングパフォーマンス
ーーなるほど。ところでバスキングってぼくのブログ読んでいる人は、あんま知らないと思うんですね。日本で有名じゃない職業ですし。でもバスキングだけを仕事にして、生活ができるんですか?
できるよ!全然できる。
ーーへー、それはどういうレベルでできるんでしょうか?たとえば日本の正社員並みの暮らしができるとか、アルバイト並みの暮らしができるなど、いろいろあると思いますが。
あー、バイトしてる時の給料くらいは、バスキングで稼いでるかな?
まだぼくは独身 (ひとり)やけど、一人もんくらいの生活くらいはなんとかなるし。ま、決して豊かな暮らしはしてないけど、でもこんだけいろいろ海外行って、バスキングできるって幸せかなと思う。
だってバスキングって職業で、行きたいところ行って、仕事ができてるから。まあブロガーも一緒やと思うけどね。行きたいところ行って、Wi-Fiさえあれば仕事できるし、ぼくも楽器さえあれば仕事できるから。
そのバスキングって日本ではまだまだ有名な仕事じゃないけど、海外じゃ普通の仕事であるから、なんとか生きていけてるよ(笑)
ーーおお、ちゃんと生活できてるんですね。バスキングで生活できるようになるまで、どれくらいかかりましたか?
どうかなー?でもバスキングで生活し出したのは4年前、37歳の時の世界一周中からだったからさ。それからずっとバスキングでやっているよ。
最近は他にも結婚式でもやったりとか、トークライブとしたり、いろいろ経験させてもらってる。その中の一つでバスキングして暮らして生きているかな。
ーーへー、いいですね!
いやいやいや(笑) やればやるだけおカネになるけど、もちろんチップ入らんかったらおカネないし、入ればおカネがあるし。だからその日暮らしっちゅーたらその日暮らしやな(笑)
ーーなるほど、じゃあけっこう不安定な職業なんですね、バスキングって。
うん、でも心のストレスは一切ないよ。
ーーえ!?それはアルバイトして生活してたときの方があったってことですか?
アカン!それはストレスあったよ!(笑) だってやりたくないもん。やりたくないことをやっているからさ。でも今はやりたいことをやっているから。
ーーその違いは何なんですかね?やっぱ自分の決めたことをやっているのが大きいんですか?
そうそう!自分がやりたかったバスキング、まあアヒルのマスクを被るまでとは思ってなかったけど(笑)、ギターとパフォーマンスで世界をまわってみたいってのが最初やったから。
で、今は世界一周から帰ってきて、バスキングで生きていきたいと思ったから、それで生きてます(笑)
ーーハハハハ(笑) すごいいいですね。
うん、すごいいいよ。楽しいし。なんかその一歩踏む前の生活からしたらすごい幸せよ、今なんか。
20代で本気でやってたはずのバンド活動。しかしまわりからは趣味だと否定され……
ーーはいはい、それはぼくが見てても伝わってきます(笑) ではここからは過去の話になるんですけど、トニーさんがどういう風にバスキングで働くまでの経緯を聞いてもいいでしょうか?
ーまず今に至るまで、何をやってどう働いてたかを教えてください。20代の頃はパンクバンド、30代はクルマでかき氷やビール売る屋台やったり、その後にバスキングで世界一周されるなど、いろいろやられてますよね。
ー最初は高校出てパンクバンドやってたんですか?
そうそうそう。パンクバンドやってて。
ーーパンクにはいつ頃目覚めたんでしょうか?
高校時代の17、18歳くらいの頃かな。
ーーなるほど、では10代後半からパンクバンドをやってたんですね。その頃、トニーさんの20代の目標はアルバイトしながら、メジャーデビューを目指してたんでしょうか?
いやメジャーデビューとかそういうことは考えてなくて、なんかパンクとって奇抜やん?最初はその奇抜さにすごい衝撃受けて、ぼくは始めたかな。
20代の頃、大阪でパンクバンドをやってた時のトニーさん
で、その中でもパンクはお金のためにやるもんじゃなくて、生き方とかDIY(自分でなんでもやっていく)みたいな感じに影響受けてた。でもそれでは生きていけなかったかな(笑)
ーーそれはトニーさんがバンドだけで生きていけない現実に直面したということですか?
そう、ぶちあたった。「これ趣味とか言われたら趣味になるのかなぁ」って思ったよ。いやまぁパンクをやっている人同士で会話したらわかんねんけど、よく親とか友達に「それで稼げてないんやら趣味や」って言われたからね。
ーーでもトニーさんの中ではパンクバンドを本気でやってたんですよね?
うん、……でも今思えばやっぱ甘かったと思う。アルバイトをしながらバンドやっている自分に本気を感じなくて、嫌になっていた。やるなら、それで生きたいと思った。
特にある時、当時付き合ってた彼女に「そんなな、自分でおカネ出してCD作って、バンドの紹介やから他人にタダであげまくってヘラヘラしてて、そんなん絶対本気ちゃうで」って言われてさ。
その時はそれでも「そういうんじゃないねん」って言ってたけど、今はわかるよな。
彼女から見てそう思われるくらいって、大したことないよなって思う。そう、だからパンクやってた時はプロミュージシャンって興味なかったけど、「プロってすげぇな」ってバスキングやってから思ったんよ。
消費者金融での借金300万!?バイトに起きれずすぐにクビになるので、お金借りながら生活した20代
ーー話を聞いてると20代のトニーさんはバンド活動しながらアルバイトしてたんですよね?就職をしようとは思わなかったんですか?
しゅーしょく!?就職はしようと思わへんかったよな。ぼく、実は、朝起きられへんタイプでして(笑) 絶対バイトでもクビになるし。だから、全然ダメで自分が社会不適合者だと悩んだことがある。
今までやったアルバイトの仕事もほとんどっていうか、全部クビやし。うん、今まで全部クビです(笑)
ーーえ?アルバイトって、そう簡単にクビになるんですか?
……うん、起きひんから(笑) だからほんまに一時悩んだよな。借金にも手を出したりして。
ーーええ!?マジっすか?
もうアコムとか、ああいう金融会社のお世話になったりとかさ。だってバイトしているけど、すぐクビになっているから、……カネがないんよ。
ーー言えたらでいいんですけど、当時の借金はいくらくらいありました?
(ちょっと沈黙して)……えー、100(万)は超えてるよな。200、……なんぼくらいあったんやろ?……200、300(万)くらいあったんかな?もうだからあの時は毎月払ってんねんけど、借金が減らなかった(笑)
ーーあ、それは利息とかで?
うん、減らん。だからもうドツボやって……。そう、ほんで……もうイヤやった、あの状況。
でも今思えば甘えてるだけやねんけどな、結局。
ーー借金があったのに甘えてたってことですか?
だって借金あるくせに死ぬ気で働いてないし。それってただのわがままやんな?
借金あるんだったら死ぬ気で働かなアカンのに、当時のオレは死ぬ気で働いてないんよ!起きないから、すぐにバイトをクビになるし!
そんな私生活の状況でパンクバンドやってて、「説得力ない」の一言でしょ?(苦笑)
ーーなるほど、そこでトニーさんは自分と向き合って変われたんですね!
いや……、その時いろいろ自分と戦ったし、向き合ったけど、結局ずっと負けてたよ。変われなかった。もうホンマダメ!人間のクズやった。だからドン底やったな、あれがぼくの人生で一番悲惨な時期(笑)
ーーええ……!?今の自分でバスキングで稼ぐトニーさんと、何から何まで違うじゃないですか!?意外過ぎます。借金はどうやって返したんでしょう?
……借金はぼくの亡くなったお父さんが手助けしてくれた。手助けしてくれたってのは、ぼくに返済するお金を貸してくれたって意味なんだけど。
ーーそれはトニーさんが何歳くらいでした?
あれはいつかな?30歳くらいかな?だからもう(お父さんに)バレて!(苦笑) カネないのに借金して、その借金がさらに増えていってて……、もう悲惨の一言(笑)
だからお父さんに一度助けてもらいました!ほんま感謝しています。
ーーそうだったんですか。じゃあお父さんに借金を返済するお金を借りて、消費者金融から借りたおカネを返済できたんですね。それはもう今はチャラ (完済)になったんですね?
うん、今はチャラになりました。
借金を返せてもまだ生き方に迷った30代前半。そこで旅と出会った
ーーなるほど、借金返せたのが、30歳と。でも旅に出ると決めたのが35歳ですよね?その後の5年間は何をされてました?
その後はタイ料理や沖縄料理のアルバイトしてた。バンドもしてたけど、なんかアカンかったよ。やっぱバンドで生きれてないのが、自分的にはアカンかった。
ーートニーさんはバンドで生活したかったんですか?
うん、生きたかった!すごい本気になってたし。でもやっぱり他のバンドメンバーとの意見がズレてきてさ。
ーーそれはトニーさんのバンドメンバーは趣味でいいと思ってたんですかね?
わらない。でもとにかくぼくは趣味でばんどやるのがイヤんなったんよ。30歳くらいになって、バンドやるんなら本気でやりたかった。
そう、だからそういうのが全部重なって、その辺で旅と出会うんやけどね。ちょうど27、8歳にタイ。さらに30歳くらいの時にインド行ってさ。外国に行って、帰ってきて日本で仕事し出して、「タイやインド行ってた時はよかったよなぁ」ってなったんよ。
35歳。戻る場所を失くすため、住んでたマンションを解約する。そしてやっと旅に出た先で見つけた、トニーさんが人生でやりたかったこと。
ーーなるほど。旅行に行って、現実に引き戻されるって暮らしを2度味わったんですね。その後トニーさんが海外へ出るのが世界一周なんですけど、トニーさんが初めて世界一周しようと思ったのはいつだったんですか?
35歳の時に奄美大島へ皆既日食を見に行ったんよ。その後沖縄の波照間島っていう日本の最南端に着いた時だったね。
もうすっごい景色を見て。星空って普通上やん?でも横から星が見えたんよ。すっごい数の星で、180度天の川が通ってるのを見てさ。それにすっげぇ、感動して。
旅に出るって、なにかを探してるんような気がしてて。何かを探しているから旅に出たんよ。で、ぼく、そこで見つけたんよ。探してたもんて、感動なんやって。もっと感動するってことなんやろ?と思って。
その夜空を見た時に、世界行ったらもっと感動があるんちゃうか!と思って。その景色見て決めた。
世界へ行こうって。
で、その気持ちのままいたかったから、大阪に帰っても家を借りひんかったんよ。絶対忘れたらアカンと思ったから。
1回家借りたらとか、1回雇われて仕事したら、もうその気持ち薄れるわーと思って。だって2回タイとインド旅行ですでに経験してるからさ。もう3度目の正直で、この状態で行こう!って決めた。
ーー35歳までに借りてた家はその時に解約したんですか?
そうそうその時!戻る場所を無くしてみたいな。奄美大島への皆既日食に向かった旅をしてる時に、自分に素直になったと思う。人生一度やし、今まで自分にずっとウソついてたけど、自分にウソついている場合じゃないよなって。
それまでの経験で、自分にウソをつくのが一番ダメやと思って。
ーーパンクバンドをやりつつアルバイトしてた時は、自分の生き方が違うと思っていたんですか?
……うん、やっぱ違うと思ってたとこがある。いや、やってる時はのめり込んでやってんねんけど、やっぱりそれで生きていかれへんっていうのが、すごい辛かった。
だからパンクバンドがどうかという問題じゃなかったんよな、今思えば。自分で生きていくってことに興味があったのかもしらん。
だからぼくは沖縄に行った時に、そのまま世界を目指そうって決めてたんよ。で、奄美大島と沖縄の旅から戻る途中にクルマに住むってむちゃくちゃな発想が出てきた(笑)
次回予告 「トニーさん、世界一周資金を貯めるために、クルマに住みながら屋台をやる。しかし貯まりきらないので、バスキングで世界一周をすることを決めて……」
さてトニーさんは、35歳の時についに「世界へ出て、感動ともっと出会う」というやりたいことを見つけます。そこで心の中で憧れてた世界一周に出る決意をするのですが……。
トニーさんが沖縄から地元の大阪に戻るまでに取った行動が、「クルマを借りて住み、タコライスを売って世界一周の資金を貯める」という無謀とも思えるアイディアでした。
しかしトニーさんの働く意識と行動は変わったけど、現実はそんなに甘くありませんでした。
インタビュー第2弾です!
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