またまた遅れてすみません。借金300万円、バイトは遅刻で全てクビになった元バンドマン。そして現在バスキングをやってるトニーさんインタビューの後編です。
35歳の時に沖縄の波照間島で見た星空に感動したトニーさんは、自分の手で屋台を始めて世界一周の資金を貯めようとします。
しかし2年間で貯めた金額は約50万円。世界一周をするのに必要な150〜200万円という資金には届かず、悩んだトニーさんはバスキングをしながら世界一周をすることに決めました。
屋台生活はいつまでやればいいのか、先が見えない。しかも世界一周する資金もない。でも一方でいつ自分のやりたかったことを達成できるかもわからない状況。
だけど悩んだ末にトニーさんはバスキング師ながら世界一周するという道へ挑戦しました。悩みながら、怖かったけれど、その挑戦へ踏み出せたのはなぜなのか?
では続きのインタビュー、第3弾をどうぞ!
前回のブログです。
人生で初めてバスキングしたのはメキシコ。でも怖過ぎて、路上に出るのに3日かかった……。バスキングで世界一周したトニーさんにインタビューしました。中編 – あしたはもっと遠くへいこう
世界一周前にバスキングで稼ぐ自信はなかった。でもいつまでも行動に踏み出さず、気持ちが折れるほうが怖かった
ーーちょっと話は戻りますけど、トニーさんはクルマ売って、世界一周へ旅立ったわけじゃないですか?しかもバスキング経験も全然ないのに。その時に怖さなどは感じませんでした?
そら怖いよ。だって世界一周で全部回れるお金がないし、その時は中米旅行でバスキングやったくらいやから、世界で稼げるなんてわからなかったし。
でも屋台やった時も一緒なんよ。売れるか、売れへんかわからんけど、なんとかやってきてるやん。だからさっきの話にもつながるけど、なんでも経験を積んでくわけやんか。
世界一周を決めたのも、2年目の車検が来た時に「お金貯まるのを待つんか?でも明日死んだらぼく、世界一周行かんまま終わるやん?」ってなって。だから「じゃあもうバスキングしてお金稼ぎながら行こう!」って。
そんな感じで決めたんかな。このままダラダラ行っても何年かかるかもわからんし。
だってさ、普通の起業するのも同じやと思うけど、みんな貯まってからやるやん?でもその貯まるのが「いつ?」ってわかるならいいけど、ぼくみたいな屋台の仕事してたら1日どれくらい売れるかわからんねん。
ーーでもその時はバスキングで稼げるって自信もないのに、本当にすごいですね。
うん。でもバスキングもみんな最初はやったことないやん?でも実践で学ぶんが一番強烈やと思う。頭で考えるよりやってるうちにわかってくるねん。だからそれが今に全部つながっていってる。
そらたしかに屋台も1年目より2年目のほうが売り方はうまいよ。でもそんなの待ってたらいつになるかわからんし、もう世界一周に行きたいって気持ちが折れたらアウトやんか?
だから今の気持ちのまま行きたかったからGO!お金なくて怖かったけど、GOした。
そして旅立った世界一周。初めての土地はオーストラリア・メルボルン。
ーーなるほど、そういう気持ちで旅立ったんですね。ところでトニーさんのアヒルのマスクって、バスキングする時のトレードマークじゃないですか。あれはどうして被り始めたんですか?
あれはアヒルは世界一周する前にプレゼントされた。世界一周行く前に「トニーが世界一周中にお金なくなったら、アヒルのマスク被って、路上でガーガーダンスしてきたらチップ貰って帰ってこれるやろう」っていう理由でくれたんやけど(笑)
ーーそれ、誰がアヒルのマスクくれたんですか?(笑)
あー、それは屋台で出会った人やね。世界一周行く前に。で、最初もらった時は「路上も出たことなかったけど、マスク被れば恥ずかしくないし、なんとかなるやろ」って言われて。
ーーハハハハハ(笑) 世界一周は何カ国くらい回り、どれくらいの期間がかかったんですか?
バスキングをしたのは19カ国、43都市。回った国はパラグアイに半日だけ遊びに行ったりしたから、20カ国かな。期間は1年1ヶ月くらい?
ーーなるほど。トニーさんの世界一周は最初、オーストラリアからですよね?初めてオーストラリアのメルボルンですよね。なぜオーストラリアだったんですか?
ぼくが最初にオーストラリアに行こうと思ったのは、日本で出会ったオーストラリア人の友達がメルボルンにいて、そこで結婚式を挙げると電話がかかってきた。
世界一周どこから行こうかほんま迷っていたから、そこから行こう!!みたいな。
ほんでオーストラリアの友達の結婚式でパフォーマンスして、それが最初やったんやけど。
ーーあ、なるほど!オーストラリアの友達の結婚式でバスキングしたのが、世界一周最初のパフォーマンスだったんですね。
うん、イベントでパフォーマンスとかしたことなかくて、正直ビビっていたら、ビール飲まされて、最終的にはノリノリになって、アヒル被って(笑)
ーーそこで初めてアヒルのマスク被って(笑) その後オーストラリアで始めたバスキングは1日の稼ぎってどれくらいだったんでしょうか?たとえばオーストラリアは。
オーストラリアは1日3,000円くらいかな?で、だんだん上がっていってて、週末とかはもっと良くなっていった。
――それってどれくらいの生活なんでしょうか?
あー、だいたいドミトリー(日本でいうゲストハウス)が2,000円弱ぐらいやったから、1日の稼ぎが3,000円だとキツかったかな。
だから宿代のこととか考えるのに必死やった。ホンマに。
ーーその時は最初は見てくれるお客さんにどんなことを考えてたんですか?
いや、何も考えないかなあ……。とにかく生きる?(笑)
最初の方とかは必死やったかな。その日のお金を稼ぐのに必死やった。
――なるほど、最初はバスキングするだけでいっぱいいっぱいだったんですね。
うん、もういっぱいいっぱい。途中からかな、アヒル被ったパフォーマンスでどうやったら人が止まってくれるんやろ?って考え出したのは。だから最初は屋台の時と一緒かな。やり方わからんし、学んでやってを繰り返して。
やるのが怖かったバスキング。でも途中からバスキングをしないとその国をまわった気がしなくなってた
フランス・パリでのバスキング
――初めてバスキングしたのはオーストラリアですよね?ブレッシャーや不安はありませんでしたか?
うーん、すんごいプレッシャーやったね。オーストラリアのメルボルンって街に着いた時、「ぼく、ここでやるんや……」って思ったかな。
――それでもトニーさんがバスキングを続けるのはどうしてなんでしょうか?
あー、やってみたいという想いが勝つ……からかな。うん、世界一周をバスキングで回るって決めたし。
それにまわってる国でバスキングをしないとまわった気がせぇへんようになってきたんよ。
たとえばパリで言うたらエッフェル塔や凱旋門が有名やんか?もちろんそこも行くけど、なんか途中からバスキングして初めてその土地に来た気分になってた。
――へぇー!もう景色を見ただけじゃ満足できないということでしょうか?
……そうかな。満足できないというか、その国でバスキングして、初めてその国に来たって感覚になってたな。そこで現地の人と出会って、「パリにきてんねぇや」って感じになっとった。
だから景色を見るだけじゃくて、こちらから発信したかったな。
――それは何かトニーさんの中で具体的な伝えたいメッセージがあったんですか?
メッセージはないけど、自分の中でバスキングをやりたかった。「そこではできたんか?」っていう自分との戦いみたいな。
たとえばパリでバスキングをしなくて、他の都市に行ったら「パリから逃げた」じゃないけど、そういう感覚が自分の中にあって。
だから着いたら、その都市でバスキングやってた。というか自然とそうなっていったよ。
世界一周最後の最後はハワイ。そしてついに達成したバスキングで稼いだお金でホテルに泊まるという夢
ーーそんなトニーさんの世界一周の旅は最後ハワイで終わりますよね?どうしてハワイだったんですか?
元々世界一周はカリフォルニアで終える予定やったんやけど、寒かったし、なんか締まらんくて(笑)
だから世界一周する前にハワイに一度行ったことがあったから、最後にハワイを選んだんやけど。
――あ、それは世界一周前にトニーさんがお母さんと一緒に行ったんですよね?
うん、ハワイ行って、クリスマスの時期に行って、2011年の12月24、25日に2日間だけバスキングやったんよ。サンタのヒゲつけて、帽子被って、クリスマスソング歌ったらイケるんちゃうか?って思ったんやけど……。
それでやったら、格好はイケてたと思うんやけど、吹いてたカズーっていう笛のキーがわかってなかったから、それとギターのコードがズレてて、すっごい暗いクリスマスソングになってた(笑)
でも何千円、日本円にしたら2,000~3,000円くらいもらったんよな。だからその前例があるがあったから世界一周まわってきて、どんだけ稼げるんやろう?って思ったんよ。
――そうだったんですね。それでどれくらい稼げるようになったんでしょうか?
んとな、8〜10倍くらいかな。
ーーへぇーーーー!!それだと1日1万円台もあったけど、いい時は2〜3万円稼いだってことですか!!なるほど、それで前にも言ってましたけど、バスキングしたお金でハワイのホテルに泊まったんですね。
うん、ホテルからバスキング行くってのもぼくの夢の一つやったんよ。クルマに住んでた時作った夢ノートに書いてて、その中の一つにあった。
ーーへぇー、トニーさんの夢の一つが叶ったんですね!ホテルはどうでしたか?
もう素晴らしかった……(笑)もう今でも思い出すわ。もう最高に気持ちよかった。バスキングからホテルに戻る感じ?もうヤバい、気持ちいい。で、自炊も3年8ヶ月間やってきたからもうハワイではしないって決めて、稼いだお金で外食して。
ーートニーさんは世界一周の達成感とやりがいをハワイで一番感じたんでしょうか?
いやほかの国でも感じてたけど……、でもやっぱハワイはデカかったよな。もう3年8ヶ月前の屋台生活からのファイナルやから、想いがデカいよな。
これで終わりというか、今から見たら終わりじゃないんだけど、その時の目標は世界一周だったからさ。そのためにもクルマに住んだし、ファイナルはやっぱ違うよ。
でさ。最後日本に帰る時もぼく、JALで帰ったんよ。ほかの国はたいがいLCCで移動するやんか?
世界一周を終え、「日本行き」を示すホノルル空港の電光掲示板を見て、思わず涙があふれてきた
ーートニーさん、台湾来る時もJALで来たって言ってませんでしたか?JAL好きですね(笑)
今までハワイのホノルル空港の電光掲示板で行き先が表示されてたけど、自分の乗るJALの飛行機に「To Japan」の行き先文字が見えた時はもう涙でた(笑)
ーーマジっすか!?
うん。普通、旅って終わりたくないやんか?でも僕はもう帰りたかったもん。「達成したぞ!」って想いが強過ぎて。空港で「To Japan」の表示見た時は、すごかったな。自分の中で震えるくらい感動した。
帰れるんやー!って。やったぞ!って言う想いが強過ぎて。5,000%やりきったぞー!!って(笑)
もう世界一周中はとにかく必死やったし、しかもカネを稼がなアカンから日々がんばるしかないというか。
ーー引くに引けないというか。
うん、稼がな次の国や都市に行けないから「やったるぞ!」っていう想いが強かった。細かいことを抜きにして、絶対行ったんねんっていう想いのほうが強かったな。
ーーそういう想いが強くて、最後のハワイの空港での涙につながったんですね(笑)
うん、世界一周だけじゃなくて、屋台始めた3年8ヶ月含めて想いが、そのハワイのホノルル空港で一気に出た(笑)なんかのその時初めて自分に「ようやった」って言えたかな。
世界一周して人生が変わったわけじゃない。トニーさんの人生が変わったのは、戻る場所を自分でなくして奄美大島まで旅をする決心をした時だった
ーートニーさんが世界一周するまでに、奄美大島に皆既日食見に行って、屋台でイチから2年半稼いだ話を聞いてきたから、その空港で涙した理由の深さが伝わってきました。いろんなことがあって、トニーさんは世界一周を達成したんですね。
あ、でもな、まえちゃん、言っとくわ。これ、世界一周を達成した時の話な。
達成した時に思ったんが、その世界一周に行くこともすごかったけど、この2009年の奄美大島に向かったやん?その一歩を踏み出したことで、すべてが変わったと思うねん。
たしかに世界一周へ行って変わったってのもある。でも一番大事やったんはその戻る場所をなくして、奄美大島に向かったのが始まりやったんよ。
だから屋台でタコライス売ろうと思ったのもすごい始まりやけど、でも何より戻る場所をなくして、最初に行こう!と決めた一歩が一番自分の中でデカかった。
これはトークショーやらせてもらった時のトークの内容を決める時に、まわりの人から意見をもらったりしてわかったんやけど、
「たぶんトニーはその世界一周へいったのもすごいけど、何が一番人生で変わったか?っていったら、その戻る場所をなくして、一歩出たところで変わったんやと思う」
って言われてさ。だからそれをトークショーの最後で言ったほうがいいって言われた(笑)
ーーハハハ(笑) あー、でもわかります。ぼくもブログで稼いで台湾に住んでいるからたまに人から「すごい!」って言われるんでけど、ぼくも海外に行こうと思って決めた瞬間が、自分的には大きかったです。
そうそうそう!そうなんよな!最初のあの一歩が今につながってるからさ。何よりも。
社会不適合者より自分不適合者になりたくない
あと旅に出て思ったんが、今は「社会不適合者」より「自分不適合者」になりたくないと思って。
ーーそれはどういうことですか?
うん、社会とはどんだけズレててもいいけど、自分にウソをつきたくないというか。ぼく、自分に嘘をつくのを「自分不適合者」って勝手につけてんねんけど、「社会不適合者」であっても、「自分不適合者」にはなりたくないなと思って。そう、今はそう思う。
やっぱ自分に嘘をつくのが一番ダメやと思う。
ーーそれを感じたのはいつだったんでしょうか?
それは屋台やる前よな。戻れないように奄美大島への皆既日食に向かう前に大阪の住んでたマンション解約して、そんとき自分に素直になったと思う。人生一度やし、今までずっとウソついてたけど、人生一度やし、いつ死ぬかわからんのに自分にウソついている場合じゃないよなって。
人にウソつくんじゃなくて、自分にウソをつくのが一番ダメやと思って。
ーーあぁ……。トニーさんは奄美大島へ向かう旅で自分に対して正直になったところが、一番のターニングポイントだったのかもしれませんね。バスキングで稼いだり、屋台をしながらクルマで生活したのも、全部人目を気にするのやめて、自分に正直になったから始められたことですし。
次回予告
さて全3回の予定でしたが、すみません!前回の台湾でラーメン屋を開いた出口さんの時のように、全4回の構成になってしまいました。
自分にはやりたいことがあると言いながら、就職せず、バイトも全てクビになり、挙げ句の果ては借金までした20代のトニーさん。
しかし35歳の時は自分に素直になり、やりたいことを全部やるという決心をした30代のトニーさんは、ついにクルマに住んで資金を貯めながら、バスキングで世界一周という目標を達成しました。
ただ「Life goes on (人生は続く)」という言葉の通り、世界一周してもトニーさんの人生は続きます。そしてトニーさんは帰ってきてから、まわりの人のおかげで自分の仕事に対する姿勢が変わったことに気付いたのです。
あれほど自分の思うパンクのカッコ良さばかりを追いかけていたトニーさんは、ふと気付けば、
人に笑ってもらうためにアヒルのマスクを被り、人のアドバイスで恥ずかしいけど自分の顔が入った缶バッヂを売るようになり、そして遅刻でバイトを全てクビになったのに、結婚式のパフォーマンスをするため前日に会場入りするようになりました。
次回最終回です!
「遅刻でバイトをすべてクビになった社会不適合者が、どうやって6年かけ人を喜ばせてお金をもらう旅ができるにようなったか?バスキングで世界一周したトニーさんにインタビューしました。完結編」
をお送りします。
[続きです!]
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