「従兄弟のカオルくんが12月に結婚するらしいよ。あんた、結婚式には来れるの?」
北海道から横浜の実家に帰ったぼくに母親は言った。
従兄弟のカオルくんとは、母親の弟の息子さんである。
「お?ついに母親側の親族で結婚してないのは自分だけか」
「36歳独身絶好調!」のぼくに対して、母親はプレッシャーをかけてきたのだろうか?
そう思ったら、そうでもないらしい。
「あんた、坂村健教授って知ってる?」とぼくに聞いてきた。
その名前には聞き覚えがある。そうだ、コンピューターの歴史を調べようと思って買った中古本の著者ではないか。
「そこのお嬢さんとカオルくん、結婚するんだってさ」
「ええーー!?」
ビックリして横浜の実家でぼくは叫んでしまった。
国産OS TRONを作った坂村健教授とは誰なのか?
坂村健教授は、一般的な知名度はあまりないだろう。
でもコンピュータの世界では「世界のサカムラ」と呼ばれる有名人だ。マイクロソフトのビル・ゲイツが恐れた男として、一昔前のコンピュータ本の帯には書かれている。
そう、、ビル・ゲイツが恐れた日本人の偉業の一つは、日本発の国産OS B-TRONを作ったことである。
コンピューターには動かすためのソフトが入っている。パソコンにはWindows 95やWindows 10、アップルのiPhoneにはiOS、GoogleのPixelにはAndroidというOSが入っているのはご存知のことだろう。
全部アメリカ製だが、日本産OSのB-TRONを作ったのが坂村健教授だ。
少し世界が違えば、マイクロソフトのWindowsの代わりに世界を席巻していたかもしれない。そういう意味で、ビル・ゲイツの恐れた日本人と説明されているそうだ。
しかし、坂村健教授のすごいところは、ユビキタスコンピュータの時代が到来することを考えて、C-TRONというOSも同時期に作ったことである。
パソコン用のOSのB-Tronは普及しなかったが、家電や産業用ロボットの中に入るOS C-TRONは世界1位の普及率なのだという。
電球から人工衛星まで制御するソフトがC-TRONであり、有名なところでいうと火星探査機はやぶさのC-TRONというOSを積んで動いてる。
コンピュータはどこでもある世界になる。いまで言うIoT社会(あらゆる家電や機械がインターネットでつながった世界)を1980年代から提唱して、ソフトの開発などを進めてきたのが坂村健教授なのだ。
リンク:Windowsよりも先進的だった国産OS「TRON(トロン)」
そこの娘さんと結婚である。結婚式の話を聞いた時にぼくは思った。
……新郎側の親族が釣り合わないと。
結婚する従兄弟であるカオルくんはいい。東大に入り、AI研究をし、今では会社を立ち上げて頑張ってる。
しかし新郎側の親族のエピソードが激弱なのだ。
新郎の父(つまりうちの母親の弟であるおじさん)はコンピュータにハマるどころか、学生時代にハマっていたのはブルース・リーである。
新潟の畑の裏にはサンドバッグを吊るして、おじさんは「アチョー!」と黄色い声を上げながら身体を鍛えていたのだという。
コンピュータの「コ」の字もないではないか。
新潟出身のうちの母親とおじさんの実家のまわりにあったのは、コンピュータではなく、コシヒカリである。
新郎側の大学時代の恩師も、「カオルくん。新婦側に比べて新郎側は来賓が弱いなぁ。」と言ったそうである。
当たっているが、まあそんなことは気にしてもしょうがない。
大事なのは祝う気持ちだ。というわけで、ぼくは北海道から向かったのであった。
結婚式の会場はホテルオークラ東京と緊張する来賓の方々
さて、実際の結婚式は非常にすごかった。今まで参加した結婚式の中で一番豪華である。
本人たちも、「ロマンティック・ラグジュアリー」をキーワードに演出したらしい。
まず会場はホテルオークラ東京であった。ホテルオークラなんて、お歳暮でもらうスープの缶詰でしか名前を聞いたことがない。
料理もすごかった。出るもの全てが美味しくて衝撃を受けた。料理長が出てきて、説明をしてくれるのにも衝撃的だ。
挨拶される人もすごかった。特に印象的だったのが、乾杯の音頭を取られた新婦側の父の後輩の教授である。
新婦側のお父さんの業績をユーモアを混ぜながら、素人にもわかりやすく説明されていた。
「いろんな結婚式に坂村先生とご一緒させていただきましたが、初めてです。坂村先生より上座なんて」というツカミで笑いを取っていた。
【※】結婚式で新郎新婦の家族のテーブルは一番末席
「優れた考えやモノ、ソフトを作り出すのまでは難しくありません。でも普及させられる人はごくわずかなんです。コロナ禍で誰もがZoomなどでリモートワークしましたが、それを30年前から提唱していた人が坂村先生でした。何も知らない一般人まで自分の研究を体感してもらうのは難しい。
我々研究者は良い研究をするのはもちろんですが、よりよい社会になるように作り上げるのが努めです。これからはもっと時代が加速します。若きお二人にはぜひ〜」
「この方の挨拶、すごいなー」と思って名前を調べたら、慶應大学SFCの村井純教授という方であった。スマホでウィキペディアにページがあったので読むと、「日本のインターネットの父」と書かれてる。
これが新婦側の来賓のすごさか……。
ぼくはテーブルでシャンパンを飲んで酔っ払いながら、感心していた。
新婦が来てくれた方々に用意した粋なプレゼント
しかし、見ていて感じたのは、偉大な父を持つ大変さである。
いろんな結婚式にぼくも参加してきたが、ここまで新婦側の父親がクローズアップされる式も珍しい。
日本の結婚式は新婦のためにやるものだが、新婦側の父も主役のようである。
人によっては自慢と取るかもしれない。だが、ぼくは自然な引力を感じた。あれだけの偉大な業績を残したお父さんなら、来賓の方々は新婦の父親のエピソードを絡めて話したくなるだろう。
でも新郎新婦側もわかってるのだと思った。ここまでの来賓を呼ぶのだから、自然と父親がクローズアップされるのは当然だ。
むしろ新婦はそこまで父親にしてあげたかったのだし、新郎も新婦の想いをサポートしたかったのではないだろうか。
今まで大切に両親に大切に育ててもらった自分への愛情の恩返しが、この場所の結婚式なんだろう。
それを特に感じたのが、テーブルの上に載っていた六角形の機械である。
来場者の方々全員の席の上に載っている。
新婦側の先輩に頼んで機械工作してもらったものらしく、スイッチを入れるとさまざまな色に光る。
リモートでのコントロールにも対応していて、結婚式の最中に色が変わる仕組みだそうだ。
作った新婦の先輩がスピーチをしており、こういった。
「この機械にはぜひとも入れたかったプログラムがあります。OSのTronです!」
会場がどよめいた。坂村健教授が提唱して開始された国産OS TRON。新婦の父への粋なプレゼントである。
大人になると、今までの親子関係が会う頻度やイベントの大きさに現れる
ぼくも36歳になるが、この歳になるといろんな人の親子関係が見えてくる。
大人というのは子どもに、「自分のこうしてほしい」を押し付けがちである。
しかし、大人の「こうなってほしい」を押し付けると、子どもにとって重荷になったり、反発したり、避けたくなるものだ。
ぼくがまわりの友達を何人か見ていても、自分の子供にあれこれ言った父親や母親は、娘が実家にほとんど帰ってこなくなってきてる。
一見、両親は娘のために思ってやったかもしれない。でも実は母親が娘をコントロールして安心したかったり、父親が自分の感情を娘にぶつけてスッキリしたかったりする。
結局そういうのはその後の親子関係に返ってきて、大人になってからの仲の良さや会う回数に出るのだと思う。
「因果応報」は実在するのだ。おそらく。
それを考えると、今回の娘がここまで父親のためを思って結婚式を開いたのだから、おそらく親子関係が本当にいいのだと思う。
両親のために新婦がやりたいという強い気持ちがないと、こういう結婚式はできないだろう。
卓上にあるPowered by TRONとプリントされた六角形の機械に親子の強いつながりを見た。
そして、それを黙ってサポートする新郎もすごい。いろんな意味で大変だっただろう。
正直にいうと、来賓の方がすごくてめちゃめちゃ肩の凝る結婚式だったけど、印象深い結婚式に参加させてもらったとぼくは思う。
二人にずっと幸せがありますように。
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