みなさん、こんにちは。まえちゃん@Maechan0502です。
このブログはぼくが11月からオーストラリアへ行くワーキングホリデーをメインに載せているブログなんですが、そもそもなぜぼくがワーキングホリデーに行こうと思ったのか、それに至るまでの動機を書いてみました。
たぶん長くなるので、全部で3〜4回に分けて載せると思います。でもなんでぼくが会社を辞め、公務員試験を受け続けるのをストップさせ、そしてここまで27歳で海外に一年間行くという選択肢を取ったのか?
それをはっきりと言葉にしてみました。
二年前はこんなことははっきりと説明できなかったでしょう。友達に聞かれてもコレからグローバル化で英語が必要になるからとか、日本も移民を入れる日がくるから仕事の幅を増やすために英語が必要なんだととか意味わかんないことを口走ってたし(笑)
でもよく考えたら違ったんです。そういう世界がどうだとか言う理由は本当はどうでもよくて、ぼくは心からやりたかったから、海外で一年間住んで、英語をしゃべりながら働くという選択肢を選びました。今を後悔したくなかったからこの方法を選んだんです。
原点は大学時代、初めて中国の大連に一ヶ月、大学のプログラムで短期留学した時にさかのぼります。ではぜひ読んでみてください。
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ここまでくるのに5年間かかった。
そもそもぼくがオーストラリアにワーホリに行こうと思ったのは、2年前の2011年の11月の最後の週でした。
話は大学時代にさかのぼります。元々ぼくは2008年の大学4年生の時に就職活動をしました。その年の秋にリーマンショックに襲われたので、ぼくが就活した時期は最後の就活がラクだと言われた受かりやすい年です。
しかし受かる人は内定を5〜6社も取って、受からない人は一社も受からない、力がはっきりとわかる就活でもありました。
バブル期の「説明会に行っただけで受かる」という都市伝説の就活とはまた違います(笑)
そんな中でぼくは後者の一社も受からないタイプでした。
なぜならバカ正直だったため、「あなたはこの会社で10年後何をしていたいですか?」という質問に
(いやオレは別にこの会社にそんなにいたくないし、とりあえず安定した給料をもらいたいだけなんですが……)
とそんなことを心で思い浮かべ、苦笑いしながらしどろもどろで受け答えをしてたからです。
会社で定年まで働くと考えただけで憂鬱になったし、有給も気軽にとれないと聞いて、海外旅行に行きたかったぼくはそこでも気分が落ち込みました。
「会社で働くこと」イコール「自分の人生の老後」のように感じたのを覚えています。もっと、もっと、行きたかった海外に行けず、ただただ生活するために自分の好きなことを犠牲にして会社で働くことは、ぼくにとって終身刑を食らうようなもんでした。
もちろんぼくが長期休暇を取りにくいサービス業の会社を選んだのが悪かったのですが、せめて働くなら少しでも自分の興味がある本屋関係で働こうとすると、そういう選択肢しか大学時代のぼくは思いつきませんでした。
海外旅行に魅せられて
そう、ぼくは海外旅行に魅せられていました。初めて行ったのは大学2年生の時です。行った場所は中国の東北地方、大連。大学の短期留学セミナーで一ヶ月、大連外国語大学という大学の寮で中国語を学びながら、一ヶ月間そこに住んでいました。
二十歳で初めて吸う異国の空気と、日本と違うガサツだけど、でも人の温度を感じる雰囲気。知らない人にはなるべくかかわらないようにしようとする冷たい東京と違って、道を聞けば優しく教えてくれたり、こっちが日本人だとわかると急に吹っかけてくるお店の店員など、そんな人間くさいところにぼくは海外の面白さを感じました。
そして何より楽しかったのが、相手の顔色をうかがわず、堂々とこっちの要求を主張できたことです。
空気を読まないと言えばいいんでしょうか?ちょっと向こうが値段を吹っかけてこようとしたら、全力でこっちも感情剥き出しにして怒って自分の主張を通せるという、日本では出したことのない自分にぼくは海外で気づきました。
日本だと大人げないと言われようが、中国で日本みたいに空気を読んでたら、あっという間にこっちが大損こきます。そのコミュニケーションが本当に楽しかったんです。
その居心地の良さにぼくは魅せられたのかもしれません。
そのあともぼくは上海に同じく語学留学で2週間。そして台湾と韓国に旅行に行き、最後は初めての海外一人旅、そして自分への卒業旅行としてインドに行きました。
これで海外は最後だと思ってインドに行ってみたけれど
インドを選んだのは「どうせこの先当分海外に行けないなら、自分が行ける範囲で一番ヤバいところに行こう」と考えたからです。インドに行けば、海外にずっと行きたがってる自分を満足させることができて、あきらめさせられるかもしれないと思ったんです。
その2009年の3月に降り立ったインドは、想像を絶する異世界でした。
インドではニューデリー駅の二階でチケットを買おうとすると、階段でインド人に絡まれて「今日は休みだからオレのところで買え!」と言われたり (ついて行くと10万円くらいのツアーを組まされるそうです。そしていつも駅の窓口はやっているのに平気で騙してきます)
タージマハルのあるアーグラー駅に降り立つと、頼んでもいないのにガイドしたいインド人が立っていました。そいつをまこうとトイレで30分くらいやり過ごして出てきたら、まだトイレの前で立っていたので、もうストーカーかと恐怖を感じたのを覚えてます。
レストランで朝食を頼んだら1時間半後に出てきたし、もうインドはぼくら日本人からすると、時間の感覚が違いすぎて意味が分かりません。
行く先々で騙されそうになったぼくのインド旅行。
でも不思議とそこまでひどい被害には遭いませんでした。むしろガンジス河のあるバラナシという街ではこんなことがありました。
550ルピーする紅茶を買う時に、地球の歩き方のアンケートページと一緒によこせと言われたんです。どうやらそのインド人は日本の地球の歩き方を出版しているダイヤモンド社に自分の店の高評価をアンケート用紙を書いて、お店の評価を高めようとしていました。
恐るべし、インド人。はるかインドから自分の店をアンケートページで操って、高評価させようとするその姿勢。いくら日本人旅行者のほぼ全員が地球の歩き方を持っているからといって、日本の本屋で手に取った時点で騙そうとしてくるとは。
しかしぼくはとっさにこんなでまかせを言っていました。
「バカだなぁ。インド人が書くアンケートなんて、すぐ日本人は気づくぜ。キミら何もわかってないよ」
「え?他の日本人に頼む?ダメダメ、そんなんじゃ意味ないよ。でも良かったね、キミらはスッゲーラッキーだよ。なぜならオレは日本のプロのライターだからさ。」
文章なんてmixiの日記くらいしか書いてなかったただの大学生なのに、ぼくはそんなことをオーバーアクションで言いました。
「だからさ、このアンケートページにキミらのことを高評価で、このプロのライターのオレが書いてあげても良いよ。その代わり400ルピーでこの紅茶を売ってよ。すごい良い話だとおもうな。」
インド人の彼らはまんまとぼくに騙され、地球の歩き方にアンケートを書いてあげた後、400ルピーで紅茶を売りました。ぼくの隣でそれを見ていた日本人の大学生2年生の子は「すご……。カズさんってヤバいですね。」と尊敬というより、明らかにぼくの手口にドン引きしていました。
最後もおカネがなくなると、ぼくは持っていた100円均一で買った商品を「メイドインジャパンだ!」と言い張り、物々交換しておみやげをゲットしまくったし、なんだかインド人に騙されたりしつつも、こっちも負けじと相手に対抗した旅行を送ることに成功することになります。
そしてぼくは帰国後の4月、正社員として入社し、社会人として働き始めました。
でもインドを旅したぼくの胸は、海外旅行をあきらめられるどころか、もっと海外に旅に出たいとくすぶっていたんです。
続く。
インドの写真はバラナシという街で出会った日本人のきゃちぃさんに提供してもらいました。ありがとうございます!
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