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なぜ自分はプロブロガーになったか?それはADHDだったからかもしれない

若い時にブログで稼ぐと言って、海外を飛び回っていたプロブロガーの今の姿をありのままに書きたいと思います。

お久しぶりです。元プロブロガーのまえちゃんです。

プロブロガーという言い回し、懐かしいですね。2010年代はそんな人がネットから多く出てきました。

彼らは「会社なんて辞めてしまえ!」と自由にインターネット上で発言し、アフィリエイトという仕組みを使って収入を稼ぎ、時には企業や地方自治体との広告案件を請け負って社会的地位を上げ、一方ではオンラインサロンという尖った事業を先駆けて行って信者ビジネスと批判されました。

さて、私も「プロブロガームーブメント」の出身者です。

実際に2013年ごろから活動してブログでお金を稼げるようになり、その収益で台湾に住めるようになりました。時には台湾の地方政府とのインフルエンサー案件も受けるお仕事をさせていただきました。

自らも時代の恩恵に乗った一人でしたが、ここ最近はさっぱりプロブロガーの話題を聞きません。

2025年は、中には自己破産したという元プロブロガーのインタビューも東洋経済オンラインに出ていました。

(立花さんは自分が駆け出しブロガーの頃に著書を読んだり、セミナーやオフ会に参加したので、無理せずに再起してほしいです)

私もすっかりプロブロガーではなくなったので、新年に自分のことに関して書いてみようと思います。

目次

自分のプロブロガー生活が終わったキッカケ

私のプロブロガー生活が終わったキッカケは、コロナ禍でした。

当時は台湾に住んで、台湾の観光情報を発信して収益を稼いでいたのですが、台湾政府が2020年3月下旬に外国人観光客を受け入れないことを発表すると、みるみるとアクセスと収益は減少。

「これはダメだ」と悟った私は、台湾の住んでいた家の契約を解約して、神奈川県の実家に戻りました。

日本にいても、台湾の観光系で稼いでいたので、収益になるブログを発信するネタがありません。日本にいて、ブログの更新の発信がストップすると収益は右肩下がりに下落。

月に20〜30万円ほどあったブログ収入は、あっという間にコロナ禍で月に数千円〜1万円くらいのお小遣い程度になり、SNSのフォロワーも1,500以上減りました。

しばらくは自分でもあがきました。実家にいながら他の依頼を受けた仕事もしつつ、台湾に行ける機会を2年間ほどうかがっていたのですが、当時の台湾観光解禁の兆しはゼロ。

途中で国内の北海道に移住を優先したので、台湾に戻れる頃は日本で生活基盤ができました。今は別の仕事にシフトして、ホームページ制作をしています。

こうして、自分のプロブロガー生活は完全に終わりを告げました。

会社を辞めて、自由に生きていくという主張は間違っていたのか?

さて、この流れを書くと、かつてのプロブロガー批判の声が聞こえてきそうです。

あの頃のプロブロガーと呼ばれる人々は、「会社を辞めて自由に生きる!」「好きな場所を選んで生活する!」「自分らしい自分でいたい!」という青い主張を掲げて、ネットで吠えていました。

それに対して、「そんな生き方がうまくいくわけがない」と批判する人が大勢いて、よくTwitter上で論争になったものです。

私も、煽りはしませんでしたが、「この働き方で働ける人はいいと思う!」と主張していたので、大きくみれば同じような主張をするプロブロガーグループだったのでしょう。

「ようやく日本で普通の生活をするようになったか。会社で働くオレらの苦労がわかっただろう。新しい生き方だとか、会社以外の稼ぎ方はそんなにうまくいくもんじゃないんだ」

かつてプロブロガーを批判した方々は、今の私を見て、笑うかもしれません。

でも、私はあの頃の自分が間違っていたとは思いません。

自分が会社を辞めて海外に行ったり、ブログで稼いだのは必然だったと感じています。

なぜなら、2025年に精神科を受診したら、私は発達障害のADHDだと診断されたからです。

自分は発達障害のADHDだった

2025年の冬。私は精神科にいき、1時間以上に及ぶテストを受けてきました。

その結果、発達障害のADHDと診断されたのです。

ADHDにも種類があるそうですが、私は不注意と多動性の割合が多いタイプであり、ルーティーンワークの多い職場との相性が悪かったという結果が出ました。

思い当たる節はたくさんあります。会社員時代に毎月の棚卸し業務が苦手だったのも、会社の会議に遅刻して怒られたのも、外の仕事をなるべく積極的に入れたがっていたのも、すべて自分の生まれ持った特性から来ていたのです。

今の時代なら小学校の入学前に検査されて、クラス分けの際に支援級や通級に入って、不得意なことへのサポートを受けて育てられます。ただ、私たちの育った頃は発達障害への支援が充分ではなく、定型発達と同じように育てられて社会に出てしまったようです。

この特性を考えると、「お前も真面目に会社で働け」なんていう言葉を鵜呑みにしないでよかったと思います。

もし、私が素直に会社で働いていたら、上司にミスを叱責されすぎて、今頃うつ病になって障害年金を受給していたかもしれません。

うつ病にならずに私が39歳まで生きてこられたのは、なんとか自分の才能を活かした生き方を探したからです。

それが、他人より秀でていた文章能力です。

プロブロガーという生き方は自分にとって必然だった

発達障害は「障害」というネガティブな言葉がつくので、「役に立たない」と勘違いされるかもしれません。しかし、得意不得意が激しいという人が多く、一般人より「発達」しているというポジティブな面も持っています。

私もそうでした。テストで判明したのですが、私の持つ言語能力は他の定型発達の人よりスコアが高く、言葉を使ったコミュニケーションに優れているという結果が出たのです。

おそらく、幼少期から読書が好きで、大人になってからブログにハマった影響だと考えられます。発達障害には過集中という能力があるのですが、私の場合は、小学生の頃から年間100冊くらいの読書を続けていました。就寝した後も暗がりで読書をしていたので、激怒した母親が私の図書館カードをハサミで切ったほどです。

大人になってからは、ブログにハマり、1,000記事以上の記事を書きました。バズらせる記事を書く時は数時間ずっと同じ記事を推敲(すいこう)して、納得いくまで記事を書いていたほどです。そのおかげで私は他人よりも秀でた言語能力を獲得できて、文章を書いて生きる術を身に付けられたのだと思います。

考えてみると、プロブロガーは、「楽な道を選んでいる」と批判されがちでしたが、決して楽な生き方ではありません。100人に5人くらいなれるかどうかの完全実力主義の世界です。

プロブロガーは好きなことを書いて生きていたように思われますが、それは違います。書いたブログ記事が誰かのために役立つからお金を得られるのです。私は台湾旅行に役立つ情報をわかりやすい形で書いて、台湾旅行をしたい数十万人にグーグルやSNSで伝えられたからこそ、ブログ収益で生活できました。

私にとってプロブロガーという働き方は、20代後半から30代前半の自分の能力を、最も社会に還元できる働き方だったと振り返って思うのです。

我々は誰もが宿命を背負って生まれてきている

私は今年で40歳になります。日本に戻って結婚をして、子どもができましたし、人生で大事だと感じたことを書こうと思います。

どうやら、この世に生を受けたからには、絶対に変えられないものと、努力すれば変えられるものがあるようです。

おそらく、仏教用語で言う「宿命」と「運命」がそれに当たります。

「宿命」とは絶対に変えられないものです。

わかりやすい宿命は、2025年に大ヒットした映画の『国宝』でしょう。たとえば、歌舞伎の家系に生まれた男性は、家を継ぐ必要も出てくるし、芸と向き合うことが生きている限りの命題になります。

映画だと遠い世界の話のようですが、実は私たちの誰もが「宿命」を背負って生まれてくるのだと思います。

ある人の宿命は実家の家業との向き合い方かもしれません。ある人は両親や兄弟に関する家族関係かもしれません。私の人生の宿命は、発達障害のADHDだったのだと思います。

宿命は絶対に逃れられないものです。

私であれば、ADHDであるという事実は変わりません。苦手な単純作業のミスはしまくりますし、生産性が低いです。私がトヨタの工場に入ってライン作業の仕事したら、ミスを繰り返して、多くの同僚と上司に迷惑をかけることでしょう。

多くの人ができる仕事に就けない宿命に、私は生まれついたようです。

一方で、変えられるのもが「運命」と呼ばれるものです。

宿命は変えられないが、運命は変えられるはず

仏教では、「宿命」は変えられませんが、変えられるものを「運命」と呼ぶそうです。

私で言うと、自分がADHDであることを変えられませんが、持っている能力を生かすかどうかという「運命」は自分次第だと思います。

私は、単純作業を間違えたり、時間感覚がないなど、他の人より不得意なことがたくさんありますが、過集中で読書やブログにハマったおかげで、言語能力という人より秀でた武器を獲得しました。

だから、人の心を動かす文章を書いたり、検索対策(SEO)と呼ばれるWebマーケティング技術は非常に得意です。

もし、私がいま自分の運命から逃げて、安易に給料を得ようと考えたとします。事務作業の会社に入ったら、仕事のミスを連発して叱責されて、メンタルヘルスを崩して働けなくかもしれません。

ただ、今まで努力して獲得した文章能力を活かして、困っている方や日本社会にビジネスで貢献するという運命を歩める可能性もあります。

現在、私はホームページ制作と原稿制作を丸ごと請け負って、士業の方のためのホームページ制作・運用する新規事業に取り組んでいる最中です。

ADHDは、起業や新規開拓営業にも向いているそうです。営業未経験の私でしたが、やってみるとまったくツテのない士業のお客さんを開拓して、ホームページ制作をして納品・継続サポートするという0→1(ゼロイチ)に成功しました。まわりの方の多大なるサポートもあり、少しずつ顧客を増やしています。

自分が生まれ身につけた能力を殺すのか?それともどう活かすか?いま私は見えない誰かに「どういう運命を歩みたいのか?」と問われているような気がしてなりません。

最後に

おそらく、人生とは変えられないものと向き合い、変えられるべきところを努力して生きていくことなのだと思います。

変えられるものを変える勇気を、変えられないものを受け入れる冷静さを、そして両者を識別する知恵を与えたまえ

ラインホールド・ニーバー

これはニーバの祈りと呼ばれる有名な言葉ですが、私たちは誰もがそれに向き合って生きる必要があるのでしょう。

私で言うと、プロブロガーという働き方は終わりましたが、自分がADHDであることは死ぬまで変わりません。

安易な就職やアルバイトという選択肢を選ばず、私の身につけた能力を誰かの役に立てられるように必死に毎日働くこと。それがADHDという檻に閉じ込められた私の宿命であり、運命を好転させられる武器にもなると思うのです。

2026年が始まりましたが、きっちりと自分の士業向けホームページ制作のビジネスで成果を上げて、「今年は営業と制作を真剣に頑張って良かった。お客さんや仲間に感謝されて良かった」と言える一年にしたいです。

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